スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

JAL破産

いよいよJAL問題も大詰め。私的・法的整理、上場維持・廃止の詰めは残されているが、更正法適用の方向は避けられない見通しだ。

上場廃止濃厚のニュースが流れるや、12日(2010年1月)には株は30円台まで下がり、ストップ安。売りが億株単位に対し、買いが百万単位なので当然買い手は付かず、翌日以降も激安路線まっしぐらな状況だ。

実は昨年末、JAL株を買おうとしたことがある。それまで170円前後を移動していた株価が、12月には100円まで低迷。いくら低迷しても、政府支援が入るので潰れはしないだろう、という浅墓な考えから買おうと思い立ったのだが、元証券会社の人に「会社内容が良くないのでやめた方がいい」と忠告され、買わなかったのが的中。

その後はあれよあれよと下落を続けた。


JALの失敗は、国鉄の失敗に重なる。親方火の丸の発想が抜けない上、政治家の要求のまま、赤字路線を飛ばし続けた、と言うことである。

確かに乗客目線から見ても、JALの機体は古かったり、サービスが硬直的だったりという印象が強い。ブッキングミスされて、何とかしてくれと頼んでも「ダメなものはダメ」と冷酷に断られたこともあった。

通常、そのような航空会社はすみやかに潰れてくれるのだが、JALの場合は大きすぎて潰せず、公的資金が入ることになった。だが長年かけて出来上がった企業体質がすぐさま改善するとも考えにくく、2千億円はドブに棄てられることも十分考えられる。

国鉄の場合、民営化によって政治と経営を切り離すことに成功したが、再生スキームにそのようなメカニズムが組み込まれるのかは、まだ不透明。だた地方再生を掲げる民主政権下では、またぞろ不採算路線の運営を強制される危険性も蟲できない。

JALは一旦再生しても、まだまだ二番底、三番底がありそうな気配だ。


基本的な問題としては、「地方航空路をどうするか」という難問がある。

もっとも難問といっても理論的には解決策は「集約化」しかないことは、交通の専門家の間では常識になっている。赤字路線は切り捨て、本数は減らし、需要に見合った路線だけを残すのである。丁度、JRが末端路線を廃止し、幹線に経営資源を集中したのと同じである。

鉄道では一時期、不採算路線でもコストカットに務め、本数を増やしてfrequency serviceに務めれば客は戻る、と声高に主張されたことがあった。今は乗客は少なくとも、潜在需要を掘り起こせば良い、という理屈である。

しかしそれによって再生を果たした路線は乏しく、本数をを増やした挙句、運営コストが激増して赤字路線に舞い戻ってしまうことさえあった。

これは鉄道路線というものは、ある程度の人口密度がなければ運営することができない、という原理による自然な結末である。いくら本数を増やしたところで、沿線人口が1000人程度のところでは、潜在需要を掘り起こそうにも限界があるからだ。

そこでJRは主要幹線のみ残し、住民は幹線へ車でアクセスするという移動スタイルが定着していったのだが、おそらく航空についても、そうなる可能性が高い。


結果、地方は交通の便利な中核都市に人口が集約され、そうでない場所は過疎化が進むという分化が起こると予想される。

これは何も現代日本だけのことではなく、およそ人口が減少すれば発生する自然な現象である。例えば中世ヨーロッパでは様々な場所に村落が形成されたが、黒死病を受けて人口が激減すると、辺鄙な場所にある村は滅んでしまった。

むろんそのような未来は、当事者にとっては受け入れがたいことに違いない。そして政治を通じて、このような状況を是正しようとするわけであるが、自然法則と合致しない強引な是正策は、大赤字という副作用をうむ。

社会の流れを一部の有権者が強引に捻じ曲げる、というのは民主主義の一つの「欠陥」なのだが、それに代わる政体もない以上、この欠陥を織り込んで地方航空路、ひいては地方問題を解決せざるをえない、というのが「難問」なのである。

志賀直哉と口語文体の確立

名作を聴く(5)~志賀直哉名作を聴く(5)~志賀直哉
(2006/08/09)
紺野美沙子

商品詳細を見る

続きを読む

いいちこ~また君に恋してる~



新年なので、さわやかな曲から始めたいとおもふ。

焼酎「いいちこ」のCMソングで、「また君に恋してる」。歌い手はビリーバンバン。過去のバンドと思われがちだが、どっこい現役である。

曲調はS&Gを彷彿とされる、透明感のある哀しい調べ。どうしても"Sound of Silence"を思い出してしまう。サイモンとガーファンクルによる、背筋がぞっとするような美しいハーモニーを始めて聞いたのは、たしか中学生のときだった。

ラジオから流れてきたその曲のタイトルを知りたくて、図書館という図書館、レコード屋というレコード屋を回りまわった日々。

インターネットやレンタルCD屋がふんだんにある今日からは信じられないが、一つの曲名を知るのに何年間もかかった時代もあった。

そういう時代がよいものとは思わないが、そうした手間に刻み付けられた時間は、心のそこに沈殿しては、このような曲に触れて鈍い光をはなつことがある。

その光は風景の奥に隠された、より深い陰影を浮かび上がらせ、わたしたちは有り得べきだったもう一人の時代に立ち戻るのだ。

川端文学~新感覚派から、美しい日本の私へ~

名作を聴く(7)~川端康成名作を聴く(7)~川端康成
(2006/09/06)
喜多嶋洋子

商品詳細を見る


続きを読む

美しい日本の貧困

日本の貧困率は、先進国の中では、アメリカに次ぐ高さだという。OECDの調査(08年)では、加盟30か国中、日本はメキシコ、トルコ、アメリカに次ぐ堂々の第四位。政府発表でも07年の貧困率は16%となっている。

もっともこの貧困率は「相対貧困率」(平均以下(厳密には中央値)の可処分所得しか得られない人々の割合)なので、これをもって日本=貧困大国とするわけにはいかない。実際、もう一つの代表的な貧困指数であるジニ係数では、日本の値はそれほど突出していない。(厳密には格差指数だが)

とはいえ、ホームレスや貧困者の増加、デフレ、給料引き下げなど、貧困化の現象はすでに顕著なものとなっており、かつての総中流社会が崩壊したことには異論はないだろう。


たしかに渋谷を歩いていても、きちんとお洒落をした若者のなかに貧困を嗅ぎ取るのは難しい。たとえばアメリカでは貧困層と富裕層ではファッションも行きつけの店も異なるので、両者を見分けるのはたやすい。これは階層分化が長年に渡った結果なのだが、実は日本でも戦前はそうであった。

いわゆるお嬢様・お坊ちゃまの行く学校などは、庶民にはとても入ることが許されないものであったし、そもそも学校に行けない・行かない層も存在していたのである。(田中角栄は小学校卒であった。注:その後専門学校には行っている)

これから類推すれば、適切な手が打たれなければ、現代日本でも時がたつにつれて文化が進み、階層文化が定着してくるものと思われる。現状の均一文化は、実際にはかなり崩れつつあると見るべきだろう。


しかし「適切な手」といっても、打つ手が乏しいのが現状である。子供手当て一つとっても政権は大揺れに揺れているし、事業仕分けは節税効果はあったものの、それから必要資金を全て捻出するのは難しい。

44兆円にも達した国債に頼ることができない以上、残るは増税となるが、消費税への抵抗は依然根づよい。むしろ労働組合が支持基盤の民主党政権下では、法人増税や(富裕層への)所得増税の可能性のほうが高い。

富裕層への課税強化は格差緩和には役立つが、企業への課税強化は企業競争力の低下を招き、下手をすると一億総貧困に陥りかねない。月100万円の利益で5人の従業員を雇っている会社に、課税を強めて利益が80万円となったとしたら、1人の従業員はクビにしなければ、ならない。

パイを公平に分けるのも重要だが、パイ自体を拡大させることも必要なのである。


そもそも日本の貧困化・格差拡大の根本原因は空洞化にある。空洞化の後を経済のサービス化・知識集約化でうめようとしたが、英米ほどうまく行かなかった上に、第三次産業での雇用は二次産業よりも少ないために、失業や低賃金が当たり前の経済構造になってしまったのである。

では、というので空洞化を押しとどめ、生産拠点を日本に戻す動きが07~08年ころには見られたが、その後の急激な円高、政府規制の強化などから、再び海外移転が盛んになっているという。かつての移転はより高い利益を得るのが主目的だったが、今では死活問題-「日本にいてはやっていけない」のだ。

また空洞化が長期化した結果、日本の技術力が低下しているのも否めない。その技術力を支える技術者や匠がもてはやされているものの、実際にその道に入る若者は少ない。給料が低く、辛い修行・勉強が続き、危険さえ伴う世界は流行だけではやっていけないのである。

実は空洞化は韓国・台湾でも起きた現象であり、両国は大きな打撃を蒙ったが、投資先の選択と集約、世界規模の部品調達力などを通して復活した。

その背景には「アメリカに留学しなければ一人前ではない」と言われるほどのアメリカ追随がある。韓台は国内市場が小さく、日本以上にアメリカを意識しなければ生き残れないため、アメリカに眼をむくのは当然だが、結果として、英米流のスピーディなシステム思考が根付き、果敢な投資戦略と、飛行機をバス代わりにする世界感覚で、強固な地盤を築き上げた。


翻って日本では、今なおビジネス=金儲け=さもしい、という清貧の思想がつよく、草の根レベルでの資本主義が根付いていない。3人集まれば商売の話をするという中国人には、とても敵わないのである。

技術力で勝負するにしろ、急速に技術力を身に付けた中韓が後から迫ってきており、日本が目玉とするナノテクやロボットも、本格的に事業展開する金のタマゴというより、研究者のための研究という批判がつよい。そしてその裏にはやはりビジネス=悪、研究=善という資本主義蔑視が見え隠れする。

そのような悪癖は改めなければならないが、一度停止されたスパコン予算が復活したように、改革は乳として進まない。またシステムが変わっても、人間の信条や習慣は一夕では変わらない。

そうこう考えると、日本の貧困というのは構造的・習慣的なものであり、数年で解決されるものでないことが見えてくる。これまで、政府や識者は貧困をどう解決するか、という根治療法を論じてきたが、これからはむしろ貧困の存在を前提として、そのなかでも死なないようにするという対症療法を論じることになるだろう。


ひとつの試みとしては、「相互扶助」の復活、が挙げられる。

ルームシェアを通して家賃や光熱費・食費の低減を図る。マイクロクレジットを利用して、資金を融通する。カーシェアリングで交通費を下げる、ネットオークションをつかって機具の購入費・処分費を抑える、といった試みがすでに始まっている。

とくにネットを通じた緩い人間関係がウリのオークションは、すっかり定着した感があるが、それ以外となると、コミュニケーションスキルが低い日本人には、ハードルが高いようにおもえる。
ブログ内検索
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。