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鄙文化としての日本文化

日本にいるとなかなか気づきにくいことだが、日本文化は地方文化である。

およそ世界にはフランス文化、中華文化、インド文化など、「中央」と呼ばれる文化があるが、日本文化はその範疇には属していない。むしろ朝鮮やベトナム、インドネシアやアイスランドなど、独自の文化はあるが、世界の人々からこぞって受け入れられたり、世界の中心を目指さしたりしなかった「鄙の文化」に属するものと思う。

弥生の昔から19世紀後半に到るまで、日本文化は中華文化の支流に位置づけられてきた。そして大陸という文化中心では、文化がどんどん移り変わっていくのに対し、地方たる日本では、緑茶や五重塔などの、いにしえの大陸文化が保存されてきたのである。

明治に至って日本は欧米文化に宗旨変えするが、基本的には「地方文化」たる、日本文化の性質は変わっていない。確かに時折、世界的に高い評価を受ける芸術家や文学者はいるものの、総じて日本文化が注目されるのは珍しい。(ナバホインディアン文化が、カウンターカルチャーという意味以上で注目されることが少ないのと同様に)

ここで、それは単に文化相対主義的相違である、と言ってしまえば話は簡単だし、筆者も余計な恨みを買わずとも済むw。だが鄙の文化、中央の文化、それぞれに長所・短所があり、同等である、と言うのは楽でもあるが、形式に過ぎ、本質には迫っていない。

そもそも「同等」であるならば、なぜ中央に憧れ、中央を高く評価する人が多いのだろうか。

その点を考えると、実は文化相対主義における「同等」とは、「芸術的に等価」という意味を表しているのではなく、「多用な価値観を認めた上での等価」ということが分かる。つまりミケランジェロの壁画もマヤの壁画も、「格調高い芸術」と「素朴な宗教性」という別々な価値観のものさしで測れば等価ではあるが、芸術性で測ればその差は歴然として存在する、ということである。

その意味で日本文化は「素朴さ」「通好み」としては高く評価できるものの、「芸術性」「普遍性」としては評価が低いということなのである。

事実、歌舞伎は京劇やオペラに比べると、舞台運びがもっさりして、田舎じみている印象はぬぐえない。もちろん田舎芝居は田舎芝居として面白く、読み込んでいくと味わいもあるのだが、普遍的な芸術とも言いがたいように感じる。

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