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Blue Velvet

洋楽 英語



Blue Velvet

She wore blue velvet
Bluer than velvet was the night
Softer than satin was the light
From the stars

彼女は青いベルベットを身に付けていた
夜はベルベットよりも青く
星からの光はサテンよりもやわらかく

She wore blue velvet
Bluer than velvet were her eyes
Warmer than May her tender sighs
Love was ours

彼女は青いベルベットを身に付けていた
彼女の眼はベルベットよりも青く
彼女のやさしいため息は五月よりも暖かく
愛はぼくらのもの

Ours, a love I held tightly
Feeling the rapture grow
Like a flame burning brightly
But when she left, gone was the glow of

ぼくらの愛を、きつく抱きしめよう
喜びがふくらむのを噛みしめながら
明るく輝く炎のように
けれども彼女が去ると、熱はきえてしまう

Blue velvet
But in my heart there'll always be
Precious and warm, a memory
Through the years
And I still can see blue velvet
Through my tears

青いベルベットよ
しかしぼくの心にはいつも残っている
貴く暖かい、記憶が
年月を経ても
そしてぼくにはまだ青いベルベットを見える
涙を通してだけども


Bernie WayneとLee Morrisによって書かれたアメリカ60年代ソングの代表格だが、歌の雰囲気自体は情緒豊かで、むしろ50年代を彷彿とさせる。それもそのはず、この曲は50年代以前に書かれたものである。

Blue Velvetは50年代にTony BennettやThe Cloversなどによってカバーされたが、最もヒットしたのはBobby Vintonによるカバーだろう。63年には全米1位にランクインし、今でもなお「古き良きアメリカ」を偲ぼううという時には、必ずといっていいほど掛けられる名曲である。

velvetはベルベット、あるいはビロードのこと。ベルベットは英語読み、ビロード(veludo)はポルトガル語読みだが、この布地は16世紀にポルトガル経由で日本に入ってきたため、日本では「ビロード」の読みが定着した。

毛織物の一種だが、普通の織物と違い、立体的に毛が折りこまれているため、触ると毛が折れるサクサクとした高級感があり、ドレスやソファなどに多用された。もっともその毛が重苦しいため、今では余り着る人はいないが、50年代では割合好まれた布地であった。上品だが純潔というよりは貴族的・退廃的なイメージがある。

satinはサテンのことで、日本語ではシュスのこと。チャイナドレスなどに使われている、光沢のある絹織物のことだが、「チャイナドレス」という言葉から分かるように、元々中国原産である。蘇州や杭州で織られたこの織物は泉州からヨーロッパに向けて輸出されたが、この泉州をヨーロッパではzaitunと呼び、それがなまって satinとなったという。



だが考えてみると、泉州はzhuanchuと発音するのに、zaitunと呼ばれるのはおかしく思える。一説によると泉州に多く生えている刺桐の発音がzaitunであったという。もっとも泉州という地名があるのに、わざわざ植物の名をあてるのもヘンなので、実際はも少し込み入った事情があるようだ。

というのはザイトンを紹介したのはかのマルコポーロなのだが、実は彼は中国に来ていないという有力な説があるからだ。「東方見聞録」は中国のことになると、記述が曖昧になり、イタリア人なら当然興味を持つ纏足や喫茶などの風習については何もかかれていない。その上、中国側の記録には、マルコポーロのことは一切書かれていない。実際にマルコが言うように、彼がフビライの側近として地方長官となっていたのなら、その記録が全くないというのは不可解である。

そこから推測すると、マルコは実在しなかったか、あるいは実在しても彼は中国まで行かず、ペルシャあたりで元朝と交易していたベネチア商人らの噂話をまとめただけ、というのが真実らしい。後者の説をとると、マルコは実際には泉州に行ったことはなく、べネチア商人が「zaitun」と呼ぶ都市について、聞いたとおりを記述したのみ、ということになる。

もちろん、本当に泉州に行ったベネチア人もいただろう。むしろ、大モンゴル帝国元の一大貿易港である泉州に、ベネチア商人が一人もいないと考える方がナンセンスとも言える。

ところで、ベネチア商人には文盲が多かった。数学にも暗かったから複式簿記が生まれたという説もあるほど、イタリア人は学問には疎かったし、そもそもマルコポーロは文字が書けず、「東方見聞録」は口述筆記で書かれたともいう。

そのようなベネチア人が、およそ中国の文字を読めたとは思えず、彼らは耳を通して中国の地名を学んだと考えられる。そして彼らは中国人がzaitun, zaitunと呼ぶ港湾都市を知り、マルコに告げた・・・

中国では古来、都市をあだ名で呼ぶ習慣があった。北京は燕都、南京は金陵、成都は芙蓉城、の別名をもつ。正式な都市名は時の政権によって変えられることがたびたびあり、庶民の間では、あだ名の方を多用していたようだ。

そして人々が泉州をそのあだ名である「刺桐」(ザイトン)呼んでいるのを耳にして、ベネチア人らはzaitunと記憶したのが、真相とおもわれる。

テーマ : 洋楽
ジャンル : 音楽

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