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秀吉・耳塚・四百年

日本が拉致拉致と騒ぎ立てる割には、韓国や北朝鮮が相手にしないのは、ひとつにはこの本に述べるような過去を、コリアン側は知っているからである。

朝鮮の役。日本では教科書で半ページほどの記述しかなく、侵略したという概念すら乏しいが、「足を踏まれた側」の教科書では色々恨みつらみが書き連ねてある。

たとえば「耳塚」。日本ではほとんど「耳」にしない言葉だが、これは日本軍が殺した朝鮮人の耳を削ぎ、本国へ送付したもの。韓国では日本人の残虐性を物語るエピソードとして、時々出てくる歴史用語である。

なぜ耳を取ったかというと、最初は首を取っていた。日本軍は首をもって、褒賞としていたからである。戦争の後、首は塩漬けにされて、大将の「首実検」を受けた後、褒賞の沙汰が下された。しかし海を越えて首を送るのは大変だということで、首の代わりに鼻を、そして後には耳をとることになったと言う。

しかし耳や花を取られても死には至らないため、それを差し出す代わりに命を助けてもらった朝鮮人の話などが残っている。



さてこの本は朝鮮側からみた朝鮮の役で、朝鮮各地で義兵(民兵)が組織され、日本軍に立ち向かったことが事細かに書かれている。

当時、朝鮮王朝では内紛が盛んで、軍隊は腐敗していた。そして政府に絶望した民衆の中には、日本の統治に期待したものもいたという。これらのことが、日本軍の快進撃を助ける一因となったのである。

しかし日本軍は最初からロジスティックが悪いうえ、戦争後期には朝鮮水軍によって制海権を奪われたため、食料の現地調達が多く、その手段は処刑や虐殺を含む強引だった。そしてこれが庶民の反感を招いたのである。

義兵は官軍と合流し、さらには明軍も救援に駆けつけると、その頃には兵員が減耗していた日本軍は太刀打ちできず、撤退を余儀なくされ、休戦が成立した。

だが陸戦では新式銃、日本刀で装備し、勇猛果敢で戦術に長けた日本軍が圧倒的に強く、秀吉は再戦の機会を窺っていた。休戦は単なる兵員補充、物資補給の時間稼ぎであった。

4年後、戦争は再開されたが、今度は朝鮮側も戦争に慣れていたため、日本軍は苦戦を強いられた。また勝ったところで後ろには大国・明が控えており、とても秀吉の望む、大陸制覇はかなえられそうもなく、武将の間では厭戦ムードが高まっていた。

結局、秀吉の死でウヤムヤのうちに戦争は終結し、日朝関係の修復は、次の徳川政権の手にゆだねられることになる。



日本軍は6年にわたる戦乱で、日本軍は数多くの残虐行為を行ったが、それに対する反日感情が、今なお韓国には根強い。いわば朝鮮の役は、反日感情のルーツなのである。

それに対して無視、曲解を行い、「日本軍だけでなく朝鮮軍も略奪を行った」「日本軍のおかげで朝鮮に唐辛子がもたらされた」などと自慰にふける向きもあれば、この本に参加した日本人研究者のように、韓国サイドから反省すべしという人もいる。

どちらにしろ、学問にイデオロギーを持ち込むべきではなく、歴史学は歴史学として分析を進めていった砲がいいように思う。ただそれは山間に篭って学問に耽る意味でなく、研究の成果を社会に還元し、修正主義の横暴には堂々と立ち向かうべきということも意味するのだが。

秀吉・耳塚・四百年―豊臣政権の朝鮮侵略と朝鮮人民の闘い秀吉・耳塚・四百年―豊臣政権の朝鮮侵略と朝鮮人民の闘い
(1998/09)
金 洪圭

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