スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

川端文学~新感覚派から、美しい日本の私へ~

名作を聴く(7)~川端康成名作を聴く(7)~川端康成
(2006/09/06)
喜多嶋洋子

商品詳細を見る


川端文学~新感覚派から、美しい日本の私へ~

明治から大正にかけて自然主義、私小説と流れてきた日本文学だが、大正後期になると行き詰まりを見せはじめる。というのは一つには、私小説は自分の日常的で些細な出来事の描写に終始し、ともすれば閉塞的になりがちだったからである。

なるほど、確かに「城の崎にて」は事実描写と、東洋的理念を高レベルで一致させた優れた私小説だが、そこには「社会」という観点が欠けていることは否定できない。

元来の自然主義には社会的観点も存在していたのだが、日本文壇に消化・吸収される過程でそれらは消失し、個人的感傷に耽溺しがちな小説(いわゆる私小説)に変質してしまう。

その反省から、昭和初期、新しい文学風潮が生まれることになる。プロレタリア文学と、新感覚派である。

プロレタリア文学は社会主義を理念とする文学で、ソビエト革命と、それに続く社会主義芸術運動に影響を受けて、「蟹工船」「太陽のない街」などの秀作を生み出した。

プロレタリア文学は、私小説に欠けていた社会性、思想性が充実しており、一時大きな勢力となったが、軍部の台頭とともに弾圧を受け、消失してしまう。

もっとも消失したのは弾圧だけが理由ではなく、プロレタリア文学は思想性が強すぎ、文学に必要な芸術性や叙情性に乏しかったから、というのも理由であったと思われる。



その叙情性をふんだんに盛り込んだのが、「新感覚派」の人々である。横光利一、川端康成を双璧とするこの新しい文学の流れは、子規らによって創始された写実表現が、年経るごとに陳腐化してしまったことへの反発から始まった。

真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。(「頭ならびに腹」横光利一)

ナポレオン・ボナパルトの腹は、チュイレリーの観台の上で、折からの虹と対戦するかのように張り合っていた。その剛壮な腹の頂点では、コルシカ産の瑪瑙の釦が巴里の半景を歪ませながら、幽かに妃の指紋のために曇っていた。(「ナポレオンと田虫」)

彼らは「駅は黙殺された」「腹は虹と対戦していた」などの技巧を凝らしたモダニズムあふれる表現を多用し、それまでの古臭い明治文学を一新させてしまう。

このモダニズム文学は日本に限ったことではなく、世界的な現象であった。20世紀初頭、第一次世界大戦が終結すると、重しが取れたかのように欧米の文芸界は躍動し、ジョイスやイェイツ、ブルトンらの文学者があらわれた。

彼らは主観的傾向がつよく、当時最先端の科学だった心理学の知見をつかい、自分の深層心理を描写したり、深層心理の赴くままに、従来ではありえないような表現を創出した。(現代文学が難解なものになったのは、直接的には彼らの活動の結果である)

この風潮は文学の枠を飛び越え、広く芸術分野に新風がもたらされた。

モダニズムの芸術たちは、直線や単純な曲線、図形を組み合わせた、幾何的な造形を好んだ(フォルマリズム)。また意味の繋がりのないようなシーンを組み合わせた「モンタージュ」も好まれた。そして文学においては、従来あり得ないような言葉の組み合わせを用いて、あたらしい感覚の表現が模索された。

そして若き川端は、この新感覚派の旗手だったのである。



もっとも横光と比べると、川端は新感覚にどっぷり浸かっていた訳ではなく、そこから距離を置いていた。それは横光は、実験的な創作を通して新しい表現を生み出そうという点に眼目を置いていたのに対し、川端は自分の心情を新感覚の技法を用いて表出させようとしていたからである。

言わば川端は己の心情のために、新感覚を利用していたと言っていい。その川端の心情とは、「寂しさ」や「死」である。

少年時代に両親、祖父母、姉と、立て続けに肉親を全て失った川端の心の底には、寂しさが癒しがたく巣食っていた。巣食うというより、それが川端という特異な人間の深部を形成していた、と言った方がただしいだろう。

成人した川端の内部では、その寂しさが蠢くのだが、それに出口を与えたのが、文学、なかんずく新感覚派だったのである。その煌びやかな表現は川端の感性を刺激し、彼の深層心理を表出させていく。

つまり彼には新感覚派はあくまで手段であり、絶対的存在ではなかった。そのため新感覚派の限界がみえてくると、川端は次第にそこから遠ざかっていく。



新感覚派の限界は、新表現の探求に熱心になりすぎ、心理的な掘り下げが不十分だった点にある。文学の両輪は表現と心理であり、自然主義が成功したのはその両輪が揃っていたからである(表現=写実、心理=ありのままの心境描写)。それに対し、表現という片輪だけが肥大したのが、新感覚派だった。

それゆえ新感覚派はプロレタリア文学と軌を同じくして、文壇から消えていく。

新感覚派を離れた川端は、そこで培った華麗な表現を洗練させ、日本的な美的情緒を借りて、自分のこころ-寂寞や女性、愛情や死-を表現するようになる。

同じように日本的情緒、女性美を描いた巨匠に谷崎がいるが、愛欲、エロチシズムに傾いた谷崎に対し、川端は性愛を直接描かず、妖艶ながらも底面には常に死のある構えを崩すことはなかった。

川端にとって、幸福も美もその一歩後ろには死があり、艶やかな少女は病死と裏腹であった。というよりも、美が「美」であるには、その裏に死がなければならなかったのである。20代に「伊豆の踊り子」で鮮烈なデビューを飾った川端は、30代にこの考えに取り付かれ、「禽獣」など執拗に死をモチーフにした作品をかき続けた。

そして死を突き抜けた先にもたらされた作品が、「雪国」であった。

国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった。夜の底が白くなった。

という有名な描写で始まるこの小説は、長いトンネル=死についての模索、と解釈すると、その迷いを抜けて新たな境地に到った心境を表している、と読むことができる。そこにおいて、川端の分身たる島村は、奔放な芸者・葉子、駒子に出合い、自分のデカダンスさを払拭するかのような、彼女の自由奔放さに心惹かれる。

一体に川端には野性的な女性への憧れがあり、そのエネルギーを創作に活かした作がいくつもある。(「夏の靴」)。それは、彼が心にいつも寂寥を抱えていたことと、無縁ではないだろう。その寂寥を救ってくれるのは、問答無用な女性の「暴力」だったわけである。

ところが「雪国」は物語半ば、葉子の焼死、駒子の錯乱で幕を閉じる。この唐突な終わり方には様々な解釈があるが、これはおそらく、愛情もまた、死によって不条理に終わりを告げられるという、川端の死生観に根ざしたものだろう。一見払拭されたはずの「死への傾斜」は、形を変え、より深化したかたちで川端文学と融合することになる。



川端文学は、枕草子や古今集以来の日本的情緒をうけつぐもの、とされているが、それは川端の底面には、肉親らの死別によって培われた「諦観」があるからだと思われる。その諦観によって研ぎ澄まされた感覚は、女性や花鳥風月に刺激されて、艶かしい色合いを紡ぎ出す。

これは美や情緒を堂々と歌い上げる西洋文学に比べると、大きな違いがある。西洋文学の基底には、「永遠なるもの」への憧れが拭い去りがたく存在している。優れた文学というものは、その永遠へ至ろうという試みであり、過程であった。その結果が長厚重大な「罪と罰」であったり、「レ・ミゼラブル」であったりしたわけである。

それに対し日本文学というものは、「はかないもの」への自己投入がその底辺にある。そして美的情緒は瞬間瞬間にあらわれ、それを捉えるために和歌とよばれる短詩が発達した。西洋文学を映画にたとえるなら、日本文学は写真といえよう。

日本文学が「はかなさ」を基本に据えたのは、一つには仏教の影響だろう。永遠の生命を説くキリスト教に対し、仏教では「悟り」という一種のあきらめを至高体験とする。その悟り-諦観を潜り抜けて現世にもどり、ありありとした事物の息づかいを感じ取ること。それが「美」とされた。

言わば日本的情緒の本質とは、生という炎と、死という影が織り成す蝋燭の揺らめきであり、そのなかに川端は妖艶な小説世界を築きあげていったのである。



そのような川端であったが、40代以降は、次第に幻想の世界にのめりこむ。「掌の小説」には彼を愛してくれた女たちと、幻想のなかで再会する老人の話や、若いころに死別した恋人と再会する老人の話などが収録されている。

女好きで知られた川端であったが、実際にはその愛を受け入れてくれる女性はほとんどいなかったという。それは女性側の問題というより、愛を信じきれず、その裏につねに死別を感じていた川端の問題であったようだ。

彼にとって恋愛とは、自分の全てをかけて投企する運命の行動ではなく、そこから一歩退いて、退廃的な立場でそのはかなさを愛でるような心の働きであったと言える。川端は人間を愛していたのではなく、自分の作り出した幻想をこそ、愛していたように思える。

人間は裏切り、別れ、死ぬ。自分が幾ら求めても、つねにこっぴどい別れが待っている。そこに確かなものを求めるとしたら、それは幻想のなかでしかない。幻想のなかでは、老いて醜い彼は永遠の若者であり、彼を心底愛してくれる母が永遠に彼を抱擁してくれるのだ。

彼は薬物を利用して眠りにつくのを慣わしとしており、その過程で甘美な幻想に耽溺していた節がある。さらに晩年にはガスを放出することで、一酸化炭素中毒による幻覚を楽しんでいたのではないか、という説さえある。(70年代の都市ガスには、石炭ガスが混入されており、一酸化炭素中毒事故が多発した)

そして昭和47年、川端は仕事場でガス中毒死を遂げる。それが覚悟の自殺であったのか、幻覚遊戯の果ての事故死であったのかは、今となっては知る術はない。



ただこの結末は、川端が追求した日本美というものの末路を、つよく示唆する結果となった。死と戯れながら作品を描いていく者は、やがて架空の世界のほうに、つよいリアリティを感じるようになる。幻想のほうが真実であり、現実は架空であるという倒錯した認識を抱くようになる。

ましてや川端には「眠れる美女」という、死体を愛でる小説すらある。彼にとっては、生死の垣根は常人よりも低いものだったにちがいない。

翻ってみると、若き川端が熱中した新感覚派というものは、表現の洗練が第一義で、物語の思想や情念については、あまり深堀りをしてこなかった。美を追求するのが精一杯で、自分はどう生きるか、自己と社会との関わりの考察などは焦点ではなかった。

そこから出発した川端文学は華麗で繊細ではあったものの、この世を切り開くような力強さ、社会性には欠けていたのである。

この欠陥は、川端だけの問題ではなく、自然主義以後の日本文学の問題でもあった。川端以後、太宰、三島と受け継がれる日本文学はたぶんに繊細な叙情性をもちあわせていたものの、人生の指針となるような力強さを併せ持つことはできなかった。

日本美の本質が朝に生まれ夕に消え行く「はかなさ」にあるのだとしたら、それを追求し、自己と美を合一せんとすれば、必然的に死にたどり着く。日本文学と自殺が密接な関係にあるのも、理由のないことではない。

死を乗り越え、社会的視座をもつような日本文学の再生は、川端以後の文人に託される課題となったのである。

次はこちら


コメントの投稿

非公開コメント

遅れましたが、あけましておめでとうございます。

ものすごく読み応えのある、ゆっくりと味わって読まねばもったいないような記事でした。
読んでいて、なんだか諦めのような、どうしようもない気持ちになりました。
日本人には確かに「はかなさ」に異様に反応してしまう部分があるように思います。

死が怖いものではなくなって、日常的にいつも自分のそばに置かれているような状態で生きていくのはどうも危うくてしかたがありませんw
意外と簡単に手にはしないものだとは思うんですけど、でもふと手を伸ばしてしまう人もいるんだよねえ…って。
自殺ではなくとも、川端さんのような自殺のような事故とか。
世の中には答えのないことが多すぎですね。

おめでとうございます

 Lepさん、あけましておめでとうございますv-457
 おひさしぶりですがお元気ですか?
 今年、Lepさんにとって素晴らしい一年でありますようにv-354
 今年も宜しくお願いいたします。

No title

なるほど…。前にメッセでお話はお聞きしましたが、こういうことだったんですね。川端康成は、名前は有名ですがとても影が薄い印象で、その実態はよく知りませんでした。勉強になりました。

漠然とですが、僕は日本文学はいちばん最初の「自然主義」が今でも根底にるのではないかと考えています。自然や現実をあるがままに描写するという考え方は、禅の思想とも通じるところがあって、日本人の心性にとても当て嵌まります。

その考え方でいくと、どんな作家もいずれは「死」と向き合わなければいけません。日本文学と死の繋がりについては、僕は自然主義がその媒介になっているのではないかと考えていました。

それにしても本当、久々に読み応えのある記事です。もう川端文学を読まなくても、lepさんのこの記事があればいいや、みたいな(笑)今後のご発展とブログ更新を心から願っています。今年もよろしくお願いいたします。

Re: タイトルなし

> 遅れましたが、あけましておめでとうございます。

あけおめはめは~

> ものすごく読み応えのある、ゆっくりと味わって読まねばもったいないような記事でした。
> 読んでいて、なんだか諦めのような、どうしようもない気持ちになりました。
> 日本人には確かに「はかなさ」に異様に反応してしまう部分があるように思います。

これは講義で使用したもので、隠匿する勿れ、という某きうり氏からの勧めで掲載したものです。長いのでプリントアウトしてお読みくださいw。

日本人というのは、長期的に物事を俯瞰するより、瞬間瞬間、せつな的に捉えることが多い気がしますね。

> 死が怖いものではなくなって、日常的にいつも自分のそばに置かれているような状態で生きていくのはどうも危うくてしかたがありませんw
> 意外と簡単に手にはしないものだとは思うんですけど、でもふと手を伸ばしてしまう人もいるんだよねえ…って。

特にバーチャルがリアルに浸出してきたこのごろでは、結構あの世への抵抗が薄れてきたのかな?練炭自殺が増えるのも理解できる気がします。正月錚々、ひどいレスになりましたがw。

Re: おめでとうございます

>  Lepさん、あけましておめでとうございますv-457
>  おひさしぶりですがお元気ですか?
>  今年、Lepさんにとって素晴らしい一年でありますようにv-354
>  今年も宜しくお願いいたします。

あけおめ~。
お久しぶりです。
昨年は色々ありましたが、心気一転、お互い良い年になるようにしませう。

Re: No title

> なるほど…。前にメッセでお話はお聞きしましたが、こういうことだったんですね。川端康成は、名前は有名ですがとても影が薄い印象で、その実態はよく知りませんでした。勉強になりました。

確かに川端は弟子の三島や、その「ライバル」堕罪に比べると、陰が薄い感じですね。一つには彼の文学は日本情緒に偏りすぎて、現代人の心を捉え切れなかったということもあったのかな。

> 漠然とですが、僕は日本文学はいちばん最初の「自然主義」が今でも根底にるのではないかと考えています。自然や現実をあるがままに描写するという考え方は、禅の思想とも通じるところがあって、日本人の心性にとても当て嵌まります。

ああ、それはあると思いますよ。「あるがまま」「自然(じねん)」という考えは仏教的かつ神道的で、日本人的です。

> その考え方でいくと、どんな作家もいずれは「死」と向き合わなければいけません。日本文学と死の繋がりについては、僕は自然主義がその媒介になっているのではないかと考えていました。

明治・大正期の文学者にはその傾向が強いですね。ただそれ以後、三島なんかになると、演劇や性、暴力などの考察が必要になってきます。

> それにしても本当、久々に読み応えのある記事です。もう川端文学を読まなくても、lepさんのこの記事があればいいや、みたいな(笑)今後のご発展とブログ更新を心から願っています。今年もよろしくお願いいたします。

いやー、銭もらってますからねw。というか、銭が出ない普段の記事の質はおして知るべきですがww。いずれまた、読書会を開いてみたいですね。きうちんブログも、よりよい事件・事故記事を楽しみにしてます~。
ブログ内検索
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。