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狂人・芥川~芥川文学における超現実~

芥川文学は、「鼻」「芋粥」などの古典文学の現代的再解釈からはじまり、「地獄変」に代表される芸術至上主義を経て、「河童」「或る阿呆」の皮肉的・警句的な人間探求へと向かったという解釈が一般的だ。

その解釈に異論はないが、自分は各期ごとに芥川の本質が変化したのでなく、全期を通じ芥川の本質は大きな変化を遂げなかった、と見ている。そしてその本質とは、理念的には「狂への傾斜」、形式的には「詩的描写」である。

発狂した女性を母にもつ芥川の奥底には、「狂」への憧憬というものが見られる。「羅生門」「トロッコ」のように理知的で構築的な文章をものする芥川が「狂」とは、おかしく感じられるかもしれないが、「狂」を題材とする作品(「たね子の憂鬱」、「或る阿呆の一生」、「歯車」など)は、意外におおい。

とくに晩年では、狂を扱った作品の割合が増えていくが、初期の「羅生門」においても、下人が「狂=強盗」と化するカタルシスが描かれており、芥川の「狂」への憧れが強く感じられる。



もっとも芸術至上主義を経た芥川にとっては、「狂」は単なる狂ではなく、後の超現実主義的な実在を加味したものである。芥川の生きた大正時代は、シュールレアリスムの勃興期に当たっており、西洋文学に敏感だった芥川もその影響を受けなかったはずはない。

現に「或る阿呆の一生」に、

・・・彼は四角いレンズの上に小さい軍艦を眺めながら、なぜかふと阿蘭陀芹を思ひ出した。一人前三十銭のビイフ・ステエクの上にもかすかに匂つてゐる阿蘭陀芹を。

という一節があるが、ここでは軍艦と阿蘭陀芹(セロリ)が対比されている。このように一見無関係なもの同士を配置する「構成主義」と呼ばれる手法は、当時の芸術家が多用したものであるが、この技法はやがてシュールレアリスムへと深化していく。



シュールレアリスムが何かといえば、現実以上のリアルをもたらす存在のことで、画家や詩人は、創作のなかにそのような強いリアリティをもつ世界を作り上げ、その仮想世界こそが「リアル」であり、現実世界の方が逆に「にせもの」だという主張をおこなった。

この倒錯にはプラトニズムの影響があるとされる。プラトニズム=イデア論では、我々の見ている個々の事象の背後に、真の実在たる「イデア」が存在すると考える。そしてこのイデアこそが、芸術や宗教の源泉だというのがプラトンの思想であった。

イデア論はキリスト教に取り入れられ、千年以上に渡って、現世=にせもの、来世=イデアという世界認識の枠組みを西洋人に植え付けたのである。

その枠組みに従って芸術家はイデアを目指したが、若き芥川も、この思想にとらわれたようで、より美しい小説を生み出すことにその情熱を傾けた。


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