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中国鉄道1

中国の長距離移動の手段は鉄道である。最近は車や航空機も普及してきたが、やはり13億のタミを効率よく動かすには、大量輸送に適した鉄道がもっとも使われている。

中国の鉄道は1876年、上海に建設された呉淞鉄道を嚆矢とする。日本の鉄道の始まりは1872年だから、ほぼ同時期に開かれたわけである。

鉄道の厳密な定義は難しいが(馬車鉄道・蒸気鉄道、営業・臨時などのちがい)、現代みるような営業運転が開始されたのはイギリス(1825年)とされる。

そして瞬く間にヨーロッパを石鹸したあと、欧米の帝国主義の拡大によって、インド(1853年)、インドネシア(1867年)、そして日本(1874)、中国(1876)へともたらされた。


鴉片戦争に勝利し、香港を奪い取った(1842年)イギリスは、次に揚子江に目を付ける。貿易立国のイギリスとしては、中国最大の交流路である揚子江を支配し、その貿易を独占する野心があった。そこで揚子江の出口に位置する上海をも開港させ、租界を設けることになる。

租界とは小規模な植民地であり、そこには中国の警察権も裁判権も及ばなかった。これを「治外法権」といい、日本など被植民地諸国は、今でもこぞってこれを非難している「悪法」として名高い。

もっとも当時の欧米と被植民地諸国の法体系の違いを鑑みると、大名行列を横切っただけで斬殺される(生麦事件)ような国々が相手であり、統治する側としては、治外法権はやむをえない面があったことも理解しておきたい。


イギリスはその租界を足がかりにして上海全域を支配する腹積もりであった。実際、香港では最初に香港島、次に九龍半島(市街地)、そして新界と、3段階にわけて植民地を広げて行った。

しかし(北京から見て)南海の僻地たる香港と違い、さすがに上海は中国の中心に位置する市。イギリスの独占に対して列強から干渉が入り、結局上海は諸国の租界地が入り乱れる自由貿易都市となったのである。

諸国はそれぞれ警察組織をつくり、商人らも共同で民兵を雇った。この辺りの事情は、中世商人に似ている。たとえばコンスタンティノープルでは、東ローマ帝国の警備部隊とともに、ジェノバ商人やベニス商人の民兵が治安確保に当たっていた。海外で商売の安全を確保しなければならないヨーロッパ商人の知恵といえよう。

とはいえ警察組織が一元化されてないことから、上海での犯罪は多かった。何しろ殺人を犯しても、別の租界に逃げ込めば警察は追って来れないのである。

警察組織が地方分権しているアメリカでも似たような状況にあるが、それでも統一したFBIという組織があり、この種の犯罪を取り締まる。しかし上海にはそれがなく、結果、犯罪が野放しとなって「魔都」というおどろしいあだ名までつけられた。

ちなみに英語で"shanghai"は、「(酒やクスリなどでだまして)誘拐する」というイミである。その魔都ではマフィアがはびこり、その力を利用して消化遺跡が国民党総統に成り上がっていくのだが、それはまた別の話。


さて、1865年、ロスチャイルド家が香港と上海に香港上海銀行を設立。この銀行は私立ではあるが政府とのつながりが強く、一種、イギリス国立銀行の役割をも果たしていた。強力な金融サポートを得た欧米商人らは、これ以後、中国進出を本格化させていく。

そして冒頭の呉淞鉄道(1876年)につながっていくわけである。

呉淞は上海の外港で、ここに陸揚げされた貨物を運ぶために、呉淞鉄道が敷かれた。呉淞から上海までスムーズに人員や物資が動かせるようになったわけだが、それは即ちこの地を落とせば上海まで一気に軍を進められる、ということをも意味する。

実際、後に日中戦争では、呉淞をめぐって日中が激しい戦闘を繰り広げることになる。

テーマ : 鉄道旅行
ジャンル : 旅行

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