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ネットのない時間

最近、回路が不安定で、ネットに繋げられていない。

Unconnectedの状態が続いているのだが、ネットがない生活というのは、奇妙な静けさである。一昔前でいえば、テレビやラジオのない生活。食後の時間が牛のように、でん、と横たわっており、その牛をもてあましている感じ。

思えば、ネットというのは騒がしい同居人である。ニュースやブログ、ツイッターやメールなど、始終何事かとささやきかけ、自己の意識というものは、そのなかで揺り動かされ、突き崩されて「多中の1」として、無意識のうちに協調作業するようになる。

ネットというものは、現代の共同下宿であり、学生宿であり、文壇であり、論壇であった。その中で、数多くのtwitterが生まれ、それを吸収・消化・加工して、わたしの時間が動いていく。

しかしそこからunconnectedされると、時間は本来の牛のような愚鈍さを取り戻し、わたしはそいつと格闘しなければ、ならなくなる。その闘牛の中で、わたしはものの海のなかに、深くはいっていく。

これは、世界の断片を、すばやく、浅くとらえ、纏め上げるネットの思考法とは、正反対のものだ。ネットの思考も、ものの思考も、「関係性」を利用している面では同じなのだが、ネットは関係を明確に、対象だけを捉えて並べなおす。

それにたいし、ものの思考は、ものにまつわる原始的な関係性をたどりながら、その奥にあるみえないものをぬすみ見ようとする。

もののなかに、岩のなかに深く沈みこんでいく蝉の声は、単なる音ではなく、それを媒介にした関係の広がりである。そして広がりは重なり合いながら、濃淡の波模様をえがいていく。その波とたわむれながら歩いてくわたしは、長いこと忘れていた建物の音を聞いたような気がした。

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NoTitle

>食後の時間が牛のように、でん、と横たわっており、その牛をもてあましている感じ。

↑この感覚、よく分かります。
うちは雷がよく家に入ってくるので、雷が鳴ると電化製品の電源を全て抜くのですが、こういう状態になります。
TVもネットもないと、しんとした空気と時間だけがそこにあって、本を読むかぼ~っとするか・・・
なんとなくもてあましてしまいます。
でもたまにはそういう時間も必要なのかも知れませんね。
そういう時間をすごすと、自分のなかの世界というか空間が広がる(広がらざるをえない)ような気がします。

Re: NoTitle

> >食後の時間が牛のように、でん、と横たわっており、その牛をもてあましている感じ。
>
> ↑この感覚、よく分かります。
> うちは雷がよく家に入ってくるので、雷が鳴ると電化製品の電源を全て抜くのですが、こういう状態になります。
> TVもネットもないと、しんとした空気と時間だけがそこにあって、本を読むかぼ~っとするか・・・
> なんとなくもてあましてしまいます。
> でもたまにはそういう時間も必要なのかも知れませんね。
> そういう時間をすごすと、自分のなかの世界というか空間が広がる(広がらざるをえない)ような気がします。

結局耐え切れなくて、すぐに外に繋げに行きましたw。実務においても、すでにネットというのは必要不可欠なものになってますね・・・ネットの存在は、確実にわれわれのモノの見方や、人間関係などを変えているとおもいます。

今回の衆院選の結果も、ネットが普及して政治の透明度がたかまり、自民政権の限界が露呈したことが、ひとつの原因になっているのかもしれませんね~。次回はいよいよネット投票か?w
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