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江戸の占い

江戸の占い江戸の占い
(2004/08/11)
大野 出

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江戸時代というのは、現代に似ていてかつ素朴さがあるという、面白い民俗である。なかでもとりわけ「占い」の分野は、民俗臭がぬきんでている。

江戸の占いは中国の影響下にあったが、その中からこの本では「御神籤」、「夢占い」、「顔相」を抜き出して解説している。

顔相を見てみてみると、当時の人々は栄養状態のせいか、髷のせいか、現代とは違ってかなり顔相が違っていたようだ。史料は占いの手引き本だから、誇張されているのかもしれないが、江戸の風俗は現代とは異質のものだった、とする意見はほかにもある。

たとえば「ロボット歩き」。現代人は手足を互い違いに出して歩くが、江戸人は同時に出し、ロボットのようにカクカクと歩ていたという。右手と右足を同時に出したら、さぞかし歩きにくかろうと思うのだが、その説によれば、むしろ現代の我々の歩き方のほうが不自然で、人間は生まれつき江戸歩きをするのだという。

もっともその説は浮世絵などの考察から生まれたもので、絵画には「絵画的表現」があることを忘れている。たとえば春画を見て、江戸人の性器は現代人の二倍ある、と主張するのがおかしなことのように、当時の絵から「だから江戸時代はロボット歩きだったのだ」と結論づけるのは、短絡的だろう。



さて、江戸の御神籤を覗いて見ると、当時の人々が何を凶、何を吉としていたかが分かる。凶は「夜旅に灯りが切れた」、「旅行中に雷に遭う」、「夜の大川を渡る」、「道中、追いはぎに遭う」など、旅行関係が多い。いかに当時の旅が危険だったかが分かる。

ほかにも「鏡が割れる」、「雷光を見る」、「俄かに失明」、「井戸に油を落とす」などが凶に挙げられているが、「井戸に油」を入れてしまった日には、それを汲み出し切るまで井戸が使えなかったため、さぞかし苦労があったのだろう。

「急病」は今でも不幸の象徴だし、ましてや失明など、恐怖以外のなにものでもない。もっとも失明の恐怖はたんに病気というだけでなく、「光」を失うことにもあったようだ。光に江戸人は特別な感情を抱いていたようで、占いにも「雷光を見る」「鏡が割れる」が出ている。

また凶には「猫に爪がない」、「鷹に爪がない」、「鳥に羽交いがない」(羽交い=背中の、羽と羽が交差するところを意味する古語。現代語にも「羽交い絞め」という単語に残る)、「魚に水がない」など、「得意とするものを失った状態」もふくまれている。

これは面白い感覚で、現代人は「猫に爪がない」と言われても、「かわいそう」と思うだけで、「不自由で苦しいだろう」と思う人は少ないだろう。これは江戸時代では動物は、人間の延長として、人間とある意味同等にあつかわれていたのに大使、現代では動物は保護、愛情の対象として見られることが多いせいだろう。

どちらが正しいかの議論はおくが、現代人の「動物愛」には、動物を一方的に弱者とみなす傲慢さが隠れている点は指摘しておいてもいいだろう。


続いて吉だが、こちらからも、江戸人のもつ「楽」「福」「悦」のイメージがよみとれる。

まず大吉第一番に挙げられているのが「蓬莱山に登る」だ。蓬莱山は中国の理想郷で、東シナ海の東方海上にあるとされていた。一説によれば、それは富士山のことで、縄文・弥生人らが霊山としてあがめてきたのを、古代中国人が聞き付けて伝説に組み込んだ、という。

出自はともかく、江戸期においては山岳信仰は一つのピークをなしており、富士詣で、大山詣でなど、各地で霊山参詣がおこなわれていたのだから、御神籤の大吉に「山登り」をもってくるのは自然、当然だろう。

吉には財宝に関する記述-「矢のように家に宝が降り込む」、「玉の光が増す」-があるが、分量としてはそれほど多くなく、団欒や交友に関するものが多い。

「親子あい楽しむ」、「よき友と遊ぶ」、「恋しき人にあう」などがその代表だが、前述したように、動物を人間とみなして「蝶が日陰で遊ぶ」、「鳥が林に遊ぶ」などの籤も少なくない。

ほかに多いのは、「闇夜に提灯」式の、「苦労から救われた系」である。「暑さに水遊び」、「にわか雨に傘を拾う」、「渡りに舟」などだが、似たものとしては「長患い本復」、「長雨が晴れる」もある。

また「どんちゃん騒ぎ」も江戸人は好きだったようで、「花見」や「舟遊び」が、吉とされている。

意外に少ないのが寿命系の籤で、「寿の薬をもらう」ぐらいしかない。宝物系の籤が多いのと対照的なのだが、これは江戸人が長寿よりも蓄財に懸命だったからだろうか。


考えてみると、現代、我々が吉、凶と思うのは、たいていが運に関することである。「宝くじ当たってラッキー」、「事故に遭って大凶」という感覚だが、この占いにはあまりそういう運勢に関することが出て来ない。

出てくるのは「雨に傘」、「闇夜の旅」など、具体的で日常的な便利・不便であり、夢・希望にしても、現代人なら「立身出世」、「運命の相手とめぐりあう」ぐらいの夢は見そうなものだが、江戸ではせいぜいが「財宝を得る」ぐらいで、意外に夢がちいさい。

これは、江戸時代においては、出世の道も、自由恋愛の道も閉ざされていたことによる。庶民においては夢は金儲けぐらいしか許されていないという、「ちんまり」した社会であったのである。

その中で庶民は身の程を知り、身の程を超える願いは占いにも反映しなかったのだろう。長寿系の籤が少ないのはその結果のようだ。

江戸という自己完結的な、ささやかな社会では、人々は井戸に油を落としたといっては嘆き、小鳥が林に遊んでいるのを見ては和やかになるという、細々(こまごま)とした事柄に一喜一憂していた様子がうかがえる。

それはその200年後の、21世紀の日本にも通じるところがある。

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