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新聞のゆくえ

アメリカで調査したところ、青少年の過半数は新聞を読まず、代わりにネットを見るという結果が出た。新聞はお金もかかる上に情報が遅く、つまらないから、というのが理由だ。

おそらく日本でも調査すれば、同様の結果が出るだろうが、その結果に日本の新聞各社はほとんど反応を示していない。

もっとも無関心ではないようで、毎日新聞などは2年ほど前、特集「ネット君臨」でネットメディアを取材していたが、総じてその論調もネットに批判的で、ネットを積極的に活用しているとは言いがたい。

そして現在では速報や短い記事をネットに載せて広告費を稼ぐ一方、本格的な記事は紙メディアに残しておく、という新聞社が多いようだ。大手(読売・朝日・日経・毎日)をはじめとして、そのほかの会社も大同少尉である。

ネットなどの影響を受けて、売上は減少しており、大手は軒並み減収減益。だが、「積極的に打つ手がない」、というのが現状のようだ。



そもそも、新聞というのはそれほど読まれるべきものなのだろうか。基本に戻って考えると、新聞が読まれたのは、第一に新聞がニュースやTV番組、地域情報などの、ほぼ唯一の提供者であったからにほかならない。

ネットが現れる以前は、TV一つ見るにしても、明日の天気を知るにしても、新聞が必要だったのである。(TVやラジオもあるにはあったが、それはほしい時に見れる「オンデマンド」なものではなかった。)

しかし今やそのような情報は、ネットが十二分にカバーしており、新聞の「唯一の情報提供者」としての役割は終了したと言っていい。新聞購読者が減少するのは、時代の流れなのである。

それに対し、紙メディアは「紙ならではの独自の観点からの取材」を武器に、読者離れを食い止めようとしているが、正直、それほど「独特な取材」をおこなっている新聞には出合ったことがない。

何千、何万ものネットワーカーが、自由自在に提供するネット情報のほうが、数百、せいぜい数千の新聞記者が提供する、社則・社風にがんじがらめに縛られた新聞情報よりも、「独自」なのは言うまでもないからだ。


そこで新聞社は戦線を後退させ、「ネットは情報の断片、新聞は組織化された知」だから、新聞を読め、と標榜するようになった。要するに「頭イイ奴は新聞を読め」、というスローガンだ。

しかしこの発想には二つの弱点がある。一つは、新聞生地はそれほど「知」なのか、知はそれほどよいものなか、という疑問。そして今ひとつは-こちらの方がイタイのだが-、頭イイ読者はほんの一握り、という点だ。

新聞は長らく再販制度や新規参入規制によって、堅固に守られてきた。結果、競争原理がはたらかず、見方や発想がステレオタイプになり、新しい読者を獲得する努力が失われた。朝日、読売、毎日、いずれも社風があり、それに沿った情報のみが選び出され、記事にされる。

もちろん社風があるのは悪いことではないが、残念なことにその社風が硬直化し、新しい見方ができなくなっているのである。朝日新聞の見方は今なお労働者=善、アメリカ=悪というベトナム戦争時代のステレオタイプを引きずっており、読売は読売で、労働者=悪、アメリカ=善という冷戦構造を保持している。

その中で格差問題やイラク戦争という新たな問題は、労働運動やアメリカ定刻主義という旧来の枠組みで語られてしまい、出口が見えなくなっている。このような死後硬直した記事が「知」なんだよ、と声高に言われても、一般大衆は賛同できなくなっているわけである。

かてて加え、「知」がそれほどすばらしいものなのか。知を標榜してきた日本のアカデミズムの海外での評価を見ると、知的原理主義に疑いがうまれてくるのは道理だ。

百歩譲って、知がすばらしいものであり、新聞の唱える知的記事もエクセレントなものだとしても、それを理解できる人は、おそらく人口の1、2割程度だろう。

新聞を買う人のほとんどは、そのようなものを求めていない。彼らが求めるのは日ごろの出来事を分かりやすく解説してくれる記事であり、新聞は知的であろうとすればするほど、読者が減っていくというジレンマをもつ。


大胆に予測すれば、新聞の役割というものは、解体されていくとおもう。新聞には情報伝達、情報解説、情報分析という3つの機能があるが、そのうち情報伝達については、ネットに吸収されつつあり、近い将来、ネットにその役割を奪われてしまうだろう。

新聞にもTV欄やレストラン情報などは残るだろうが、それはかつての絶対的な立場を失い、ネットの多大な情報の中のひとつ、という位置づけになるに違いない。

次に情報分析という機能は、雑誌に移行していくものとおもわれる。情報をじっくり深く、統一的観点から分析するにはある程度のtime intervalが必要で、週1、月1という雑誌の発行スタイルは、情報分析に向いている。

またその頃には、毎日情報を分析するという資金力が、新聞には失われてもいるだろうから、尚更である。

雑誌は細分化が進み、各分野で専門的な分析を提供する雑誌が、高価格でサービスを展開するだろう。

そのような専門雑誌は、純粋に記事内容で勝負するので、現行新聞のような甘い分析では顧客はつかない。そのためここに至って、日本でも始めて、TimesやNews Weekに匹敵する高級情報誌が誕生する可能性がある。


では、毎日発行という新聞のスタイルは生き残るのか、というと、自分はYESと答えるだろう。

理由は、日々の情報を分かりやすく解説してくれ、というニーズは大量に存在するからだ。情報は日々生成されるから、週刊誌では間に合わない。といってネットでは、ある程度まとまった文章は読みづらい。

むろんプリントして読む、という手段もあるが、それよりも紙メディアで配信してもらったほうが読みやすいというものだ。

もっとも紙にこだわる必要もない。ニーズに合わせ、紙と電子の両方を洗濯できるようにするべきだろう。新聞で困るのは、古紙が溜まってくることなので、普段はネットで購読し、まとめて読みたい部だけクリック一発でお届け、という形が、次世代の新聞と考える。

紙メディアだ、ネットだ、という議論はもはや意味がなく、これからはコンテンツがあって、それをどう配信するかの違いになるだろうし、そうあらねばならないだろう。

そして課金も先ほどの区分に従って行うとスムーズになるだろう。つまり、単なる情報は無料で提供する。これを有料化すると、読者が室生のネット・コンテンツに流れるからである。

次に解説については、一部百円と、低価格で配信する。これも単価を上げると、客がネットに流れるため(ネットにも解説サイトは存在する)、余り高くは設定できない。ネットでコンテンツを探す手間賃=百円なのである。

分析型の情報については、数百円~数千円と単価を吊り上げることができる。ほしい情報は、タイ米をはたいても買う人がいるからなのだが、それだとなかなかパイが大きくならない。

パイを増やすには、やはり音曲と同じように、雑誌でなく、記事を一本一本売るシステムを導入すべきだろう。出版もまた、ダウンロード販売が主体になる時代が、そこまで来ていると考えるべきである。


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映画と新聞

こんばんはー。今日は僕のブログへのご訪問もありがとうございました!

新聞とネットの関係って、昔の映画とテレビの関係に似ているような気がします。

昔は映画しか娯楽がなかったから、低予算の大量生産でも多くの人が劇場へ足を運んだけれど、テレビが普及してからは需要が減っていきましたからね。

そしてその代わり、テレビ番組よりもスケールが大きくて格調高い作品を作ることで差別化を図っていったあたり、lepさんが書いた新聞メディアの路線とそっくりそのままに見えます。

NoTitle

そうすね、映画も斜陽の時代を経て、ようやく復活してきた感があります。「大衆娯楽」から「都会型アトラクション」に脱皮するまでは紆余曲折がありましたが、今では日本映画もコンスタントに海外の賞をとるまでに成長したわけですが、新聞もそうなるまでには、十年、二十年はかかるんじゃないかな。

NoTitle

一旦止めていた新聞ですが、3ヶ月前から日経を取りはじめました。
毎日の記事というよりも、特集記事が好きです。
行ってみたいつり橋アンケート結果とかww
けっこうそそられる記事があります。

Re: NoTitle

> 一旦止めていた新聞ですが、3ヶ月前から日経を取りはじめました。
> 毎日の記事というよりも、特集記事が好きです。
> 行ってみたいつり橋アンケート結果とかww
> けっこうそそられる記事があります。

肉桂は邦紙のなかでは一番よく書けている新聞とおもいます~。
特集にもリキが入っていて、自分的には鉄道関係のがよいですねw
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