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馬車の文化史

馬車には奇妙なイマージュがある。不思議な懐かしさと、ハイカラさを備え持ったイマージュがある。

実際に同時代的に乗ったこともないのに「懐かしい」、と言うのもおかしな話だが、馬車が隆盛を極めた18~19世紀ヨーロッパは現代文物のプロトタイプを色々と形作ってきた時代なので、その時代の文物である馬車もまた、nostalgicなのだろう。

もっとも「馬車の文化史 (講談社現代新書)」をよむと、ローマ時代から馬車が使われていたことが分かる。立派に舗装されたローマ街道は、一つには馬車のために作られたものという。

帝国時代の馬車は、既に方向転換装置も備えている車種もあり、高度に発達したものであった。

しかし古代末期に侵入してきた蛮族らは馬車を知らず、砕石舗装も単なる採石所としてしか見なさず、結果、ローマ道は荒れ果てててしまう。

舗装はなく、道は曲がりくねり、生い茂った草木の陰からいつ盗賊が出るかも分からない。そんな中世において旅は極めて危険なものだったが、危険を犯せば交易の利が上がったので、旅行者が絶えたわけではなかった。



その道路が復活するのは17世紀になってのことであり、中央集権がいち早く成立したフランスにおいて、道路の復活は目覚しかった。その道路を利用し、急行馬車も設定され、旅行時間が半減した区間もあった。

一方、分権的なイギリスでは、地方の有力者らが作った有料道路を繋ぎ合わせることで、舗装道路網が京成されていった。そしてイギリスでも急行馬車が設けられたが、これはむしろ郵便物を高速に運ぶことが主眼であり、旅客輸送は二の次であった。

そのためMailと呼ばれたその急行馬車は、客が乗り遅れても平然と立ち去ることを許されていた(運賃は先払い)。このシステムは現代の鉄道によく似ているが、それもそのはず、鉄道は、この全英に張り巡らされた高速馬車網から生み出されたものである。

一方、パリでは新しい試みが始められていた。数学者パスカルが始めたベンチャーは「乗合馬車」。高価な馬車をリースし、決められた路線を運行することで客を拾い、収益を図るというシステムだが、これが後のバスになる。

さらに馬車が大衆化してくると、常に街を回遊しては客を拾う仕組みの乗合馬車-タクシー-が生まれることになる。


と、ヨーロッパにおける馬車の歴史が語られるのだが、馬車はヨーロッパだけでなく、中国やアラブでも使われており、「馬車の文化史」というからには、それらの解説も欲しかったところである。

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