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かぜとなりたや

  かぜとなりたや

はつなつのかぜとなりたや
  かのひとのまへにはだかり

かのひとのうしろよりふく
 はつなつの はつなつの
  かぜとなりたや

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横浜に生まれ、東京・青山にそだち、アラスカに放浪し、帰国後は英語教師をしていた版画詩人、川上澄生の代表作。

好きな女性の前に後ろにまとわりついて離れない、というモチーフを川上は好み、「鬼」となって女性を追いかけて抱き付こう、という詩もあるぐらいだ。今の世に生きていたら、おそらくストーカー行為でタイホされたにちがいない。

だがその男性的な厭らしさが、「風」という言葉が見事にうちけされ、「初夏」という接頭辞とあいまって、爽やかささえ感じてしまう。川上の詩には、こういうハイカラなセンスがよく見受けられる。

ただこの詩は単に爽やかなだけでなく、やはりその背後には性的なものをかんじる。もっともそれは純化された性や、大らかな生命性とでもいふべきもので、初夏の精液にも似た草木の生臭さ、その生臭いという人の認識の外で営まれるこの世界の気流というものを感じさせてくれる。

その風はもはや人でも無機質でもなく、意識をもった外側で、西日に当たる煉瓦壁のようなものだ。わたしたちはそこで静かに朽ちながら、ただ純粋な意志と生命をもって、この世界の一部をひらいていく。あるいは、とじながら。



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NO TITLE

一瞬「南の虹のルーシー」のOPを思い出しました。いいすね、この詩。こういう、分かりやすくてなおかつグッと来るのが好きです。

身体がある以上、人間には色々と限界があるけれど、風になってしまえばその限界も全て解消できそうな気がする。はつなつの風ならなおさら、生臭い感情を抜きにしてあの人にまた遭えるような気がする――僕はそんな雰囲気を読み取りました。

Re: NO TITLE

> 一瞬「南の虹のルーシー」のOPを思い出しました。いいすね、この詩。こういう、分かりやすくてなおかつグッと来るのが好きです。
>
> 身体がある以上、人間には色々と限界があるけれど、風になってしまえばその限界も全て解消できそうな気がする。はつなつの風ならなおさら、生臭い感情を抜きにしてあの人にまた遭えるような気がする――僕はそんな雰囲気を読み取りました。

どうも返事が送れて失礼。そうですね、「千の風になって」ではないですが、東洋では人間が風になる思想があるようで、横浜・青山というモダンな地に育ち、洋行経験までした川上も、根っこは東洋的だったのだなあ、と感じてしまいます。
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