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クライスラー・レクイエム1

かつて、カンザス生まれの汽車工がいた。

汽車工は蒸気機関の弁装置の調整にすぐれ、次第に頭角をあらわし、やがてアルコ社の管理職にまで上り詰めた。

(アルコ社はアメリカの代表的な蒸気機関車メーカーで、そこの従業員というのはエンジニアにとって、ひとつのステータスでもあった。)

しかし時は20世紀初頭。自動車の時代に移りつつあった。1908年に発売されたT型フォードは爆発的な人気を呼び、年間1万台を売り上げる大ヒット。自動車市場が小さかった当時としては、破格の数字である。

T型フォードの成功に刺激され、他の自動車会社も拡張をはじめる。その一つ、GM社のビュイック部門では工場の管理者を探しており、汽車工はスカウトされて、会社をうつった。


そこでも彼は高く評価され、やがて部門長の座を任されることになる。

第一次世界大戦前後。馬に代わって輸送の主役となった自動車の重要性が認識され、軍隊はもとより、民間でも自動車の人気が世界的にたかまっていた。

さらに戦後、アメリカには一大好景気「金ぴか時代」が訪れ、経営は順調だった。しかし彼は経営方針や報酬をめぐって、次第に本社と対立しはじめる。

GMとしては技術力に優れるビュイック部門を、キャデラックにつぐトップブランドに据えておきたかったが、ビュイックの経営者としての彼は、ハイエンドからローエンドまで、全クラスの車種をつくりたかったらしい。

結局彼は莫大な退職金をもらって社を辞め、その金でマックスウェル社とチャーマーズ社を買収し、自分の名前をとって「クライスラー」と改名した。1925年のことである。


クライスラーはエンジニア出身だったが、その経営手法はむしろ、金融的であり、買収を繰り返してクライスラー社を急成長させるものであった。

29年には軍用トラックとして名をあげていたダッジ社を吸収。そこに中・下級車種の生産を任せ、念願の全クラス車種生産を達成すると同時に、GM、フォードとならぶ大メーカーにのしあがった。「Big Three」の誕生である。

翌30年にはマンハッタンに、尖塔で有名なクライスラービルを建てる。完成当時は283mと世界一の高層ビルであった。

もっとも、このビル、もともと尖塔を付ける予定はなかった。ただし完成した途端、同じマンハッタンに立てられたウォールタワーに「1m」背を越されたため、急遽尖塔を追加。世界一の座を奪い返した。

だが翌31年には、このどんぐりの背比べをあざ笑うかのように、449mの高さをもつエンパイア・ステートビルが竣工。再び王座が奪われる。

くやしがったクライスラー側は、さらに尖塔を伸ばそうと画策したが、その前に大恐慌が到来し、結局NYの高層ビルレースは強制終了させられてしまう。


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