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花のフィレンツェ~ダヴィンチ

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そしてボッティチェリの弟弟子が、かのダヴィンチである。

フィレンツェ郊外のヴィンチ村で成長した彼は(レオナルド・ダ・ヴィンチという名前は、ヴィンチ村のレオナルド、の意)、長じてフィレンツェに移り、そこでボッティチェリらとともアンドレア・デル・ヴェロッキオに、絵画を学んだ。

師匠は彼に描かせてみたところ、あまりにうまかったので筆を折り、彼に工房の絵画部門を任せ、自らは彫刻に専念するようになったという逸話が残っている。

真偽のほどは定かでないが、彼が絵画部門の主任になったのは確からしい。元々ヴェロッキオは彫刻家だったのだが、それだけでは食っていけないので絵画部門をも運営していた。ミケランジェロの例にもあるように、当時は彫刻と絵画の分離は、それほど進んでいなかったのである。

そこにソツなく絵がかけるダヴィンチが現れたので、これ幸いと彼に絵画部門を押し付け、自分は彫刻部門に楽隠居を決め込んだ、というのが真実らしい。


ダヴィンチの才能は絵画を軸にして多方面に向かい、土木技術から解剖学、軍事兵器にまでおよんだ。起重機から戦車、ヘリコプターから三叉フォークまでが、彼の発明とされる。

その背景として、当時のフィレンツェ芸術は科学的、数学的であったことが挙げられよう。

建築家ブルネレスキは数学家としての側面もあったし、透視図法を駆使した画家たちは、幾何学にも、光学にも抜きん出いなければならず、人物画を描こうものなら、解剖学の知見も必要であった。

透視図法が普及するにつれ、それを研究する射影幾何学が発達。それと呼応して地図幾何学が発展し、やがて大航海時代を迎えることになる。

また透視図法は光学の発達をうながし、やがてレンズ、望遠鏡、顕微鏡の発明から、微生物学、天文学の飛躍的発展をむかえる。天文学からはケプラーを通じてニュートン力学が生まれ、やがて近代物理学が確立し、啓蒙の時代がやってくる。

微生物学や解剖学は医学の発達を促進させ、天然痘やペスト撲滅の道が開かれるのである。


このようにルネサンスは科学と芸術が未分離の状態で混在しており、才能があるものは、多くの方面でその才能を開花させることが、比較的簡単な時代でもあった。

さらに言えば当時の芸術は単に芸術としてでなく、むしろ科学や学問、政治や社会状況と渾然一体化して鑑賞したほうが、ただしい鑑賞法だった。(芸術を芸術として鑑賞するようになったのは、芸術至上主義が確立した20世紀においてである)

800px-Leonardo_da_Vinci_(1452-1519)_-_The_Last_Supper_(1495-1498).jpg

たとえば法皇庁に掲げられた絵画は、法皇権力を世界に誇示するための政治的目的を持っていたし、「最後の晩餐」の構図は透視図法を使って、「モナリザ」は顔の比率は黄金率を使って、科学的に計算されたと言われている。

396px-Mona_Lisa.jpg


また「モナリザ」 の背景には透視遠近法だけでなく、空気の濃淡をつかった「空気遠近法」という新技法もつかわれている。

空気遠近法は水墨画の技法だが、ひょっとしたら、ダヴィンチは水墨画を知っており、その技法を拝借したともかんがえられる。ヨーロッパで中国趣味が流行するのは17世紀のことだが、16世紀に中国では既に水墨画法は確立されており、東西交易を通してそれがイタリアに伝えられたとしても、不思議ではない。

その眼でみると、モナリザの背景の奇岩や流水といった、奇妙な風景も水墨画に影響を受けたもののようにおもえる。


さて、長じて自らの工房を設立するに至ったダヴィンチは、ミラノ公 ルドヴィーゴ・スフォルツァに仕え、「最後の晩餐」「スフォルツァ騎馬像」などを製作した。

しかしミラノはフランス軍の侵攻を受け、スフォルツァは捕らえられ、ダヴィンチは失職する。しかし既に芸術家としての名声に加え、技術者、建築家としても有名になっていたダヴィンチは引く手あまたであった。

彼はフィレンツェ共和国政府、チェーザレ・ボルジア、ヴィーゴの息子・マクシミリアンなどに仕え、土木設計、武器開発、絵画制作などに没頭するが、最終的に、フランス王フランソワ一世のもとにおもむいた。

当時、フランスは北イタリアに勢力を伸ばしている新興勢力であり、ダヴィンチも新天地をもとめてフランスに旅立ったのである。当地ではフランス王に歓待され、優遇を受けたのだが、その4年後、1519年にフランスで死亡してしまう。

ダヴィンチ以後もミケランジェロやゴッホなど、偉大な芸術家の活躍は続いたが、科学者にして芸術家という肩書きをもった人物は現れなかった。それは彼が偉大すぎたというより、これ以後、芸術と科学は分離の度合いを強め、それぞれ人間に違う資質・努力要求するようになったからだろう。


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