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花のフィレンツェ~芸術の都

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人は大金を手にすると、芸術に目覚めるもので、フィレンツェ商人もその例に漏れず、功なり遂げた自宅を絵画で飾ったり、町の広場に彫刻をおく気風が芽生えてきた。

そしてフィレンツェは、ジョット、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロら、後にフィレンツェ派と呼ばれる芸術家たちを輩出するようになる。

中世ヨーロッパの絵画は、ビザンツ芸術の影響下にあったが、それはたぶんに不自然で、無表情なものであった。構図は硬直的で、人物の眼は死んでおり、それを見て楽しむというより、物思いにふけさせるものと言ったほうが近いかもしれない。

というのは、ビザンツ絵画の目的とは、神の栄光を讃えることだったのだが、当時のキリスト教においては、神を直接描くことはタブーだった。キリスト教は、偶像崇拝的なローマの多神教との闘争の中で確立されたものであり、図像には大きな抵抗感があったのである。

しかし文字も知らぬゲルマンの蛮族にまで、広く神の栄誉を知らしめるには、やはり図画は不可欠であり、やがて必要に応じて宗教画が生まれてくる。そして偶像否定の禁忌をかいくぐるために、宗教画は神を描くのではなく、「神を想起させるもの」と解釈されたのである。

つまり、人々はその絵を直接見るのではなく、その絵を通して、その背後にある神の栄光を想像したのである。現在の抽象画と似た鑑賞法だったと言っていい。

勢い、それは写実的というより象徴的、独創的という典型的なものにならざるを得なかったことは、下の母子像(左)を見れば一目瞭然だろう。

medieval


同じ母子像でも、ルネサンスになると、右図のような、表情豊かで自然な人物像になる。もちろん現在の眼から見ると、まだまだ不自然で演出過剰ではあるが、少なくとも左図よりは、現在の絵画感覚に近づいたことがうかがえる。

このように中世とルネサンスの間には、深い断絶があるのだが、それを埋め始めた先駆者が、チマブエである。


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NO TITLE

 右のはラファエロの小椅子の聖母だよね。やっぱりラファエロの絵はステキだね。左の絵はジョット?誰の絵なのかな?
 >その背後にある神の栄光を想像したのである。現在の抽象画と似た鑑賞法だったと言っていい。
 ⇒信仰はずっと昔から色んな方法で表現されているんだね。

NO TITLE

左はサーノ・ディ・ピエトロですね。15世紀にシエナで活躍した画家です。15世紀なので、初期ルネサンスに分類されますが、画風としては中世ビザンチン絵画をよく受け継いでいます。
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