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花のフィレンツェ~地中海交易

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一時は住民千人にまで落ちぶれ、ひとびとから忘れ去られたフィレンツェが、再び歴史の表舞台に躍り出るきっかけは、毛織物にあった。

十字軍遠征の兵士らは帰国したものの、慣れ親しんだ香辛料や絹織物が忘れがたく、これをはるばる中東から買い付けた。買うからには対価が必要だが、幸いなことに、当時ヨーロッパではフランドル地方を中心に毛織物が盛んになっており、これを輸出することで、香辛料を購った。

そしてこの貿易を中継したのが、北イタリアの商人だったのである。

ヴェネツィアやジェノヴァ、ピサといった港湾都市は、シリアやレバノン、エジプトあたりから豪奢品や胡椒を買い付け、フランスのシャンパーニュの大市などで売りに出した。大市ではハンザ同盟に代表される北方商人らがこれを買い、代わりに毛織物や銀を売った。

そしてイタリア商人はこれを買うと、今度は地中海を戻って、中東世界にこれらの商品を売りつけ、莫大な利益を得たのである。しかし港を持たないフィレンツェは、その交易を指を咥えてみていることしか、できなかった。

だがフィレンツェ商人は毛織物に眼をつけ、これを自国生産することを思いつく。

幸い、中東から遠いフランドルに比べると、フィレンツェは、インディゴなどの高価な中東の染料をふんだんに使うことができた。

さらに13世紀頃になると、フランドル地方はイギリス国王とのいざこざから、イギリス産の高品質な羊毛を利用できなくなり、代わってフィレンツェ商人がイギリス羊毛を扱うようになった。めざといフィレンツェ商人は、この羊毛を自国に運び込み、フランドル産をしのぐような毛織物を生産することに、成功する。

これを地中海市場で売りさばくことで、フィレンツェも巨額の利益を獲得。その富を金融業につぎ込むことで、さらなる繁栄がもたらされることになる。


もっとも、フィレンツェだけでなく、周辺のルッカやピサといった都市も金融には注目し、それの育成には心がけていた。

しから彼らは金融を貿易を助ける手段と考えていたのに対し、フィレンツェ商人は金融自体を金儲けの手段と認識していた点に、大きなちがいがあった。

フィレンツェは、世界初の近代金貨・フローリンを発行。これを全欧で流通させることで、機軸通貨国としての利益を享受した。もっとも、フローリンの金質は一貫しており、フィレンツェが改鋳を繰り返して利鞘を稼いでいたというわけではない。フローリンを安定供給したのは、むしろ通貨圏を創出し、為替差益を稼ごうとしたのが目的だったようだ。

同様の戦略を採ったのが、アドリア海の女王、ヴェネツィアである。ヴェネツィアの金貨・ドゥカティもまた、広く流通した通貨だったが、フローリンとドゥカティは重さも材質も同じだったので、混乱なく使われたのである。

そして13世紀から15世紀にかけて、ヴェネツィアとフィレンツェは全盛期をむかえるのである。


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NO TITLE

私の第二の故郷(と勝手に思ってる)フィレンツェねたは素通りできません。フィレンツェで金融といったらメディチ家を語らずに通れませんが、次あたりに出てくるんでしょうか?ヴェネツィアといえば銀行発症の地。どちらも特にルネッサンス期は複雑な歴史があるので、まとめるの大変だとおもいます。

NO TITLE

そういえば、Ravさんはイタリア人でしたねw。フィレンツェが故郷とは知りませんでしたww。ぜひフィレンツェ三昧をおたのしみください。

元々はダヴィンチを紹介する文章だったんですが、いつのまにかフィレンツェ史になってしまい、収集が付かなくなっています。メディチ家も語る予定ですが、その前にルネサンスやらなきゃならんので、いつになるか、自分でも分からない有様であります。
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