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花のフィレンツェ~エトルリア1

ローマ帝国が隆盛する以前、イタリアに割拠していた先住民族を「エトルリア」という。

エトルリア人の出自は分かっていないが、ヘロドトスは「アナトリア(現在のトルコ)からやって来た」と記している。

アナトリアからメソポタミア、エジプトにかけて-いわゆるオリエント-は当時の先進地域で、そこからさまざまな民族がイタリアに移り住んできた。

最も早くからイタリアにやってきた民族は、フェニキア人で元はレバノンの出身である。レバノンは交通の要衝に当たり、また良質なレバノン杉を利用して造船が盛んであった。そこで早くからレバノン人は商船の民として栄え、イタリア南部にいくつもの植民市を築いた。

そしてその後、エルトリア人がイタリアに流れてきたのらしい。

その経過について、ヘロドトスは以下のように述べている。

「・・・リュディア全土に激しい飢饉が起こった。リュディア人はしばらくの間はこれに耐えていたが、一向に飢饉がやまぬので、気持ちをまぎらす手段を求めて、みながいろいろな工夫をしたという。そしてこのとき・・・(サイコロ遊びなど)あらゆる種類の遊戯が考案されたというのである。・・・さてこれらの遊戯を発明して、どのように飢餓に対処したかというと、二日に一日は、食事を忘れるように朝から晩まで遊戯をする。次の日は遊戯をやめて食事をとるのである。このような仕方で、18年間つづけたという。

 しかしそれでもなお天災は下火になるどころか、むしろいよいよはなはだしくなってきたので、王はリュディアの全国民を二組に分け、籤によって一組は残留、一組は国外移住と決め、残留の籤を引き当てた組は、王自らが指揮をとり、離国組の指揮は、テュルセノスという名の自分の子供にとらせることとした。国を出る籤に当った組は、スミュルナに下って船を建造し、必要な家財道具一切を積み込み、食と土地を求めて出帆したが、多くの民族の国を過ぎてウンブリアの地に着き、ここに町を建てて住み付き今日に及ぶという。彼らは引率者の王子の名にちなんで、・・・テュルセニア人と呼ばれるようになったという」

リュディアは、紀元前7~6世紀に、アナトリアにあった王国で、テュルセニア=エルトリアのこと。もちろん、ヘロドトスの「歴史」は、現在の眼からすれば歴史というより伝承で、そのまま受け取るわけには行かないが、なにがしかの真実は伝えているものとおもわれる。

実際、DNA調査によると、エトルリア人とアナトリア人の血縁は近く、ヘロドトスの記述を裏付けている格好だ。


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