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六本木ヒルズと、東京ミッドタウン

六本木ヒルズには「毛利庭園」という、ちんまりした日本式庭園がある。

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これは、以前この地にあった毛利家の上屋敷の名残である。毛利家は西国の大大名だった経緯から、(江戸城からみて)西南方向に多くの土地を与えられていたが、六本木ヒルズも、元を正せばその一つ。

土地はその後、ニッカウィスキー工場を経て、テレビ朝日となったが、バブル時代、テレビ局をよそに移して、跡地を再開発しようという機運が盛り上がる。

そして主地権者たる森ビルを中核に、東京都が加わって計画がスタート。およそ17年の歳月と5000億円の豹をかけて、2003年にオープンの運びとなった。

完成までに17年間も費やしたのは、総面積12万㎡に散らばった、400もの地権者との合意に手間取ったからだ。実は、この辺りは土地所有が細分化され、道路も細く入り組んでいたため、TV局移転と同時に地権を整理し、もって総合的な地域再開発を行う、というのが計画の目的だったのである。

中心にシンボルとなる高僧ビルを配し、オフィス、ショッピングモール、住宅、そしてホテル、庭園、文化施設を配する設計手法は、森ビルが以前手がけたアークヒルズで培われたものだが、六本木ヒルズでは、さらに美術館や図書館、教育施設など、文化施設を拡張。「文化の森ビル」というイメージを打ちたてようとした。

森ビルの創始者は元々学者だったが、実業に転じてからは、地上げを繰り返し、次々に高級ビルの開発を行ってきた。そのため森ビルには、「金ピカ」「浅薄」のイメージが付きまとい、当の森ビルもこれを嫌ったらしい。

しかし完成した六本木ヒルズには、結局、ライブドアや村上ファンド、リーマンに代表される「ヒルズ族」が住みつき、(彼らが破綻した)今でも、浮ついた雰囲気は消えていない。

その理由の一つは、帽子型のビルや、入り組んだアプローチなど、ユニバーサルスタジオばりの、奇異な造詣が挙げられよう(ニューヨークの設計事務所を起用)。実際、この街に来るのは若者が多く、シネマコンプレックスの併設もあって、遊園地的感覚でたのしまれていることが窺える。


さて、先述の毛利家は、ほかにも、日比谷公園や高輪、世田谷などに屋敷地を持っていた。たとえば世田谷に「松陰神社」という吉田松陰を祀った神社があるが、これなども毛利家の土地であった。

安政の大獄で処刑された吉田松陰は、当時国事犯の埋葬地だった、千住宿刑場(小塚原)に葬られた。しかし高杉晋作など、弟子らはこれを嫌って埋葬しなおした。その埋葬先に選ばれたのが、世田谷の抱屋敷である。

抱屋敷というのは、民間から買い上げた毛利家の土地であり、直接幕府から借り受けただけの上屋敷、下屋敷とは地権が異なる。当時はまだ幕府の力が強く、国事犯たる松陰を堂々と幕府の土地たる上・下屋敷には埋葬できなかったのである。

それは兎も角、六本木には、(後に六本木ヒルズになる)毛利家上屋敷のほか、道を隔てて十分ほどのところに、下屋敷もあった。

後にその地は国有地(防衛庁)のものになるが、これもやはりバブリーなころ、再開発の話が出てくる。


80年代に流行した「遷都論」では、東京の官公庁を地方移転させ、跡地を都市再開発に活用しよう、というアイデアが出てくるが、防衛庁六本木庁舎も、その流れに乗って退出。跡地は三井不動産に払い下げられた。

三井不動産が払い下げ先に選ばれた理由は不透明だが、財閥時代から長年培ってきた、国とのコネがものを言ったのだろう。

国有地という、まとまった後腐れのない土地だけに、民間地権者との折衝も必要なく、開発はスムーズに進み、計画から9年後に完成。2007年に街開きとなった。

総面積10万㎡、費用4000億円と、ヒルズよりはやや小ぶりながら、ほぼ匹敵する「東京ミッドタウン」は、そのデザインも似通っている。

中央にシンボルタワー・ビルを屹立させ、オフィス、ショッピング、住居のセクションを確保。合間合間に文化施設、ホテル、庭園などを配置していく手法は、ほぼ森ビルの手法を受け継いだと言っていい。

ただ成り金 新興の森ビルとは違い、伝統と格式を見せ付けようとてか、六本木ヒルズに比べると、シンプルで、落ち着いた上品なトーンが支配的だ。

デザインにはシカゴの設計事務所を起用。全体的には北欧を思わせる、ヨーロピアンな印象だが、中央棟ガレリアには、竹並木や伝統食品店を配置。三井の原点たる「江戸」を強調している。

そのせいか、ヒルズに比べると、うろついている面々にも高齢者が多い。

店舗も、ヒルズは高級で流行を追うようなものが多いが、ミッドタウンは「隠れ店」のような、知る人ぞ知る良質な店を集めている。


ミッドタウンが完成すると、ヒルズは客を奪われた形になる。

2000年代後半は、ぷちバブルが発生。ミッドタウンだけでなく、丸の内などでも再開発が行われ、六本木ヒルズの地盤は低下。金融危機がこれに和をかけ、リーマンなど、会社自体が消失したテナントさえある。

もっとも09年現在、不況はどこ吹く風?かのように、ヒルズには膨大な人々が集まる。

観察してみると、ミッドタウンとうまく住み分けが出来ているようだ。ごちゃごちゃしたおもちゃ箱のようなヒルズは、若者を多く集めている。かつて、お台場にたむろしていた若年層がヒルズに移ってきたようで、今やお台場decksなどは閑古鳥が啼く有様である。

(アクセスが悪いのも、お台場敗退の一因。若者の町・渋谷から10分というヒルズに対し、お台場は2、30分かかる上、運賃も倍)

一方、シンプルで落ち着いたミッドタウンは、中高齢者層にアピール。地下鉄から直結する便利さとともに、上質で伝統ある(ありそうな)店店を回遊する楽しさを提供している。

テナントも、ライブドア、リーマン、ゴールドマンと、新興ベンチャー・外資系を集めたヒルズに対し、ミッドタウンは、ヤフー、シスコ、富士フィルム、スルガ銀行と、堅実な企業を揃えている。

その傾向は、ヤフーや金融に顕著だ。元々、ヤフーはヒルズに鎮座していたのだが、ライブドアや楽天がやってくると、彼らと同一視されるのを嫌ってミッドタウンへ移転。またリーマン、ゴールドマンとマネーゲームの大御所を愛したヒルズに対し、「今川様」のあだ名を持つ、安定志向のつよいスルガ銀行が入るミッドタウン。

さらに違いが大きく出たのが、美術館だ。

両者とも森美術館サントリー美術館という大ギャラリーをもつが、格から言えば、収蔵品を持たない森美術館よりも、国宝までをも収蔵するサントリー美術館の方が、ハルカに上である。

さらにミッドタウンの裏手には、国立の美術館がそびえ、美術競争では、ミッドタウンに軍配があがる。


とはいえ、このような地域限定の勝負も、数年後には過去の語り草になる可能性がある。

というのは、東京の3福都心である池袋、新宿、渋谷に、それぞれ大規模開発が侵攻中だからだ。

池袋では、サンシャインシティ隣接区、新宿では東新宿(元日本TV)、渋谷では東急文化会館跡が、生まれ変わる予定だ。

この3地域は昨年、副都心線で連結され、首都高速環状線の開通も間近いことから、さらなる発展が約束されている。

つまり六本木の繁栄もそれまで、という可能性が少なくない。それに備えて、ミッドタウンは「上流志向」を打ち出して対抗しているが、ヒルズの方は、まだそのようなコンセプトを持ててないように見えるのが、気がかりだ。

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