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マークシティの桜

cherry.jpg

渋谷マークシティの名物、「一本桜」。

道玄坂上に一本のみで屹立し、その孤高な姿は、浮ついた渋谷のなかにあって、哲学的ですらある。

周辺は空調が効いて暖かいのか、まわりの桜よりも1週間ほど早く先始め、道玄坂の風物詩ともなっている。

写真、桜の根元の碑は、「道玄坂由来の碑」。それなどによると、江戸時代の始め、この坂には「道玄」と呼ばれる盗賊がたむろしていたので、「道玄坂」と名づけられたのだという。

東京では坂道に盗賊の名前を付けることは珍しく、事の真偽は疑わしいが、道玄坂そのものは大山街道の一部であり、行き交う旅人を狙って盗賊が出没したことは否定できない。

江戸の治安が確立されると盗賊も消え去り、この辺り一帯は大名の屋敷が並べられた。渋谷川を挟んだ向かい側には伊予西条藩松平家の上屋敷があり、今では青山学院大学になっている。その近くには、「青山」の名前のモトとなった美濃郡上藩「青山」家・下屋敷がある(現・青山霊園)。

ではこの道玄坂には何があったかというと、紀州徳川家の下屋敷が存在していた。下屋敷は明治になると鍋島家に払い下げられたが、鍋島家はここを茶畑にしていた。なるほど、道玄坂は傾斜地で水はけが良く、茶の栽培には向いている。

しかし北は代々木に練兵場がおかれ、西は駒場に陸軍の諸施設が設置されると、茶の栽培はなりをひそめ、道玄坂は陸軍兵士の歓楽街として発展していくことになる。現在の道玄坂の発展の基礎は、この時に築かれたといっていい。

やがて関東大震災によって、当時の歓楽街・浅草が崩壊すると、その跡をついで道玄坂には商店街「百軒店」がひらかれ、大いに賑わった。そしてその賑わいを盗むかたちで、東急が一帯を傘下におさめていく。

もっとも、渋谷は東急だけでなく、他私鉄も乗り入れている。京王・井の頭線であるが、その井の頭線のホームをJR易者から離し、無理やり作ったスペースに駅ビルをおっ立てよう、というアイデアが持ち上がった。

これがマークシティだが、元は線路だったところを、トコトコ歩いて出ると、桜が迎えてくれる。写真の桜である。

テーマ : 桜 花見
ジャンル : 地域情報

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NO TITLE

 >桜が迎えてくれる。
 ⇒坂の上に桜があれば、坂道も楽しくなりますね。キレイに整備された道に桜…。都会の洗練された雰囲気が出ていてとってもキレイです。

NO TITLE

まぁ実際には、横がゴミ置き場になっていて、あまり綺麗じゃないんですけどねw。
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