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群青 - Ultramarine -



日経WBSの以前のエンディングソング。タイトルは「群青 - Ultramarine -」(福山雅治)。都会派でありながら、情熱のある語り口が、経済番組のトリを飾るのに相応しい歌だったのだが、今は気の抜けたようなEDになってしまって残念。

群青とは、"lapis lazuli"(ラピスラズリ)を原料とする岩絵具。アフガニスタンで産出される鉱物で、lapisは石、lazuliは空、つまり「青空石」の意。

古来より青色顔料として使われ、ヨーロッパでは地中「海を越えて」運ばれたため、"ultra-marine"の色名が付いている。

最もこの鉱物は貴重なことから、後年にはより安価な"azulite"(藍銅鉱)が使われるようになった。azulは先述の通り「空」「青」を意味し、liteは石を表す接尾語だから、ようするに「青石」。

青顔料には、ほかに"prussian blue"(プロシャ青)などがあるが、群青はultramarine, lapis lazuliなどという名前から、ポエジーが湧くと見えて、文学や音楽のテーマによく使われる。


さて、この歌が感銘を与えるのは、単なるラブソングではなく、「祈り」をテーマに絡めているからだろう。

愛が祈りや願いに変わるときは、その歌が普遍を獲得するときでもある。
自分の卑小さを実感するときは、大きな存在に気づくときでもある。

この歌は、愛を歌っていながら、その実、裏につよい宗教性を秘めている。「あなたを愛したい」「あなたに愛されたい」という祈りは、神への思慕に重なっている。

むろん、日本では宗教はあまり根付いているとは言えない。そのため、神について言及する作品をものするときには、メタファにメタファを重ね、曖昧なかたちにすることが多い。

この作品でも、「群青」を触媒として、その字(あざな)"ultra-marine"を経由して、いわば「人の愛」を超えて、「永遠の愛」に至ろうとしている。

その姿勢が一途であり続けているのが福山の稀有な資質の一つで、またその資質が福山と、たとえば彼と尾崎豊とを分ける分水嶺でもあるように思う。

尾崎も優れたアーティストだが、その情熱は破壊を続けることによって、生み出されたもの。彼は大人の世界を壊すことを自らのテーマにすえ、その破壊(→夜の校舎窓硝子壊して回った)の向こうから見える、生の人間の営みを聖なるものとしてたたえた(→きしむベッドの上で優しさを持ち寄り)。

そうして自分がその大人の側に立たされたとき、彼には自殺しか道は残されてなかったのだろう。いわば尾崎は、一途に死を選び続けたわけである。


それに対し、福山は絶対者を通して生への回路を模索しようと、「明日を信じ」ようとする。その願いはゆるされるのか。

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