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泪橋2

前回はこちら


そんな浅草を歩いてみる。

浅草の中心はやはり浅草寺で、その裏手を北上すると、すぐに千束にぶち当たる。千束といっても何のことか分からないかもしれないが、改名以前の名前は「吉原」。その名残で、今もソープランドが軒を連ねている。

ただ新宿・歌舞伎町ほどの賑わいは全くなく、東京でありながら地方都市のさびしげな佇まいを示している。行きかう人も高齢者が多く、ひょっとしたら、高齢者専門の店店なのかもしれない。

千束からさらに奥州街道を北に行くと、日本堤に入る。ここが先ほど紹介した「山谷ドヤ街」である。こちらも旧名を嫌って、1966年に改名されたが、今でも安宿やビジネスホテルが軒をつらねている。もっともこちらも余り人通りはない。

中心部は「いろは会」と呼ばれるアーケードだが、ここはうかうかと散策できない商店街である。というのは路上で「寝ている」人が多いからだ。



sanya2.jpg

それも新宿などのようにダンボールを敷いて申し訳なさそうに寝転がっているのでなく、あたかも自分の正当な権利かのように、堂々と布団を敷いて寝ている。昭和レトロな商店街とあいまって、雰囲気はほとんど「修学旅行」か「社員旅行」。

実は「いろは会」の後ろ側はドヤ街で、そのドヤに入る金もないホームレスが、アーケードに屋根がついているのを幸い、布団を並べて宿泊しているのである。

商店街の面子もそれを嫌うでなく、ホームレスらも食糧や必需品を商店街から買い入れるなど、持ちつもたれつの関係が成り立っている。

東京ではその場合「立ち退き→再開発」、という流れになることが多いが、そもそもこのアーケード自体、シャッター商店街で、開いている店の方が少ない。店主の方もどこか投げやりで、その日を凌げればいいという考えのようにみえる。


このままでは早晩、商店街は消滅すると思われるが、日本堤という立地自体は、上野から1,2キロと交通の便がよいため、跡地にはマンションやビジネスホテルが場外れのキノコのように、にょきにょき生えてきている。

ただここに住むには多少の勇気がいる。

何しろ、買い物に出るにも路上の布団や、(花見でもないのに)酒盛りしている車座をかき分けないとならないのだから。

また他の場所と違って、ここのホームレスらもいやに眼光が鋭く、次々と歩行者にガンを飛ばす。それを知ってか、住民らは自転車に飛び乗ってそのガン付けを交わすのである。おそるべし、山谷。

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