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裁判員制度

通知書も届き始め、いよいよ回転しだした裁判員制度。基本、自分は精神には賛同するが、手続き的には納得がいっていない。

というのは何か国民の知らない間で勝手に決められ、勝手に実行されているという印象が強いからだ。

消費税や拳法のように、十分に論議が尽くされてからならまだしも、賛成・反対を考える間もなく、するすると可決されてしまったという感覚がある。

まあ気をつけてなかったお前の方が悪い、と言われればそれまでかもしれないが、それにしても無断欠席するものは違法として罰するぞ、という高飛車な態度に出てこられると、これは違うんじゃないか、という気がしてしまう。

民主的なそぶりで見せて、その精神はちっとも民主的ではないという感じがするのだ。


こういうことを言うのには、それなりに根拠がある。裁判員制度がすんなり決まった裏には、法曹界の政治闘争という側面があるからだ。

日本では会計士や医者に比べ、弁護士の肩身は狭いと言われる。また三権分立といいながら、実際は官僚>政治家>法律屋、という序列があるというのも公然の事実。

もちろんこの状況に法律業界が黙って見ていたわけではないが、そもそも日本国民には法律はちょっと、と敬遠する人は少なくないし、一生裁判と無縁な生活を送る人も多いだろう。所謂「法律アレルギー」だ。そのアレルギーがある限り、法曹業界が日の目を見ることはむずかしい。

そのアレルギーを一気に解消する奇策として、白羽の矢を立てられたのが、陪審員制度だったのである。

国民に、強制的に、日常的に裁判に参加させることによって、法律アレルギーを草の根レベルからなくしていく。裁判に慣れた国民は裁判所の意義を認め、そのステータスを上げてくれるし、裁判に慣れれば裁判も日常茶飯事となって、弁護士の儲けも増えようというものだ。


このように法律業界こぞって諸手を挙げて賛成した陪審員制度だったが、そこには一つ、問題があった。それは一般人が裁判の結果を決定するとなると、裁判官の権威がなくなってしまうのではないか、ということである。

アメリカやイギリスで行われている陪審員制度では、有罪・無罪の判決に裁判官は関与することができず、一般市民だけで判断される。裁判官は議事進行や説明、量刑判断など、むしろ陪審員を世話するサブの立場にある。

これはエリート意識の強い、日本の裁判官には受け入れがたい制度であった。そこで裁判官も判決に加わり、審議をリードするという修正陪審員制度-裁判員制度が選ばれた、と言われる。


業界の裏事情が透けて見える、という天では、医師不足とも良く似た問題である。

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 この制度、あたしもあまり賛成とは言えません。
 もし自分に通知が来たらホントに困ります(こないと思うけど)。割と感情に流され易い正確だし、正しく判断できないと思います。それに法律も良く知らないし。
 自分がかかわった裁判で死刑と判決が出てしまったら…相手を殺す事を同意した事になるし、すごく悩むと思います。
 罪を憎んで人を憎まず…なら死刑はない。けど、親族の気持ちを考えると死刑が当然という気持ちも分かる…。
 色々考えると困る。絶対あたしのとこに通知はこないで欲しいです。
 そういう事を覚悟した上で法律の仕事についている人がいるんだから、一般人を巻き込まないで欲しいと思います。
 凄く考えこんでしまう性格の人は精神的にかなりまいると思いますよ。

Re: タイトルなし

「法律に照らし合わせて正しく判断する」というより、「一般市民の感覚を判決に持ち込む」のが裁判員制度の目的なので、迷ったり流されたりるすのはかまわないと思います。OJシンプソン裁判でも、かなり流されてましたし。

基本的に人間のすることですから、パーフェクトはありえない。それを見込んで、ミスをしても構わないフェールセーフの仕組みを、裁判の中に仕組んでおく必要があると思うんですね。だから、冤罪殺人の可能性のある死刑というものには、問題があると思います。
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