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狂人・芥川~芥川文学における超現実~2

名作を聴く 芥川龍之介名作を聴く 芥川龍之介
(2006/09/06)
上川隆也

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芥川には、谷崎との間に、小説のあり方を巡った有名な論争がある(「文芸的な、余りに文芸的な」)。小説は筋書きが大事だ、とする谷崎に対し、芥川はストーリーよりも、それをどう表現されたかが、詩的精神があるかどうかが大事だ、と主張した。

なるほど、「南京の基督」にせよ、「地獄変」にせよ、筋的には2、3行で済む小説である。芥川は筋で読ませるタイプの小説家ではなかった。彼は技巧を凝らし、心理描写を尽くし、詩的情緒を凝らして「美しい仮想現実」を作り上げることに、血道をあげていた作家であった。

そのようにして誕生した彼の短編は確かに美しかった反面「何を言いたいのか分からない」「人間が浅薄だ」という批判は、当時からあった。

確かに「奉教人の死」を読むと、彼の文才の美しさ、艶かしさにはうっとりさせられる(芥川には女学生のファンが多かったという)ものの、読了後、「それがどうしたの?」という問いは現れない。

現代文学においては、小説で大事なのは「問い」、とされている。結末は容易には示されず問いだけが示され、読者が自分で答えを見つけなくてはならない。というよりも、答えを見つける作業そのものが小説を読むことなのだとさえ、言われている。その意味で、芥川の小説は近代的であり、大正期の文学であったと言える。



しかし芥川が後世に名を残すのは、近代文学の限界を乗り越えようとしたからでもある。芸術の中に耽溺した芥川は、30代を迎える前後から、創作に変化が出てくる。それまでの明晰な構成・内容をもつ作風から、幻想的な作風へと移りかわっていくのである。

これはある種自然な流れで、若い時代に芸術至上的だった文学者には、中年時に作風を変える人が少なくない。芸術至上主義では、この世をうまく折り合いをつけることが難しいからである。

当時の芥川にとっては、日常は退屈で陰鬱で倦怠感を催すようなものであった。これには薬物使用や文学上の論争、女性関係、親族のトラブル(芥川の義兄が自殺し、残された家族の面倒を見るハメになった)が関与しているとされるが、より本質的には、その煌びやかな物語世界の空気に長年触れ続けた結果、彼はもはや通常世界の空気では生きていけなくなったからだとおもわれる。

(「ああ云ふ飛行機に乗つてゐる人は高空の空気ばかり吸つてゐるものだから、だんだんこの地面の上の空気に堪へられないやうになつてしまふのだつて。……」 ・・「歯車」より)

キリスト教の造詣が深かった芥川は、キリストに救いを求めたが、信じることはできなかったようである(「或る阿呆の一生」)。キリスト教について幾つも創作を重ねた芥川だが、その創作姿勢はキリスト教の真髄を理解し、体得するというよりも、キリスト教からもたらされるインスピレーションや舞台装置を創作に活かすことであったようだ。

たとえば「西方の人」で、彼はみごとに聖書の人物らの心理分析をおこなうが、そこには「知」はあっても、「信」はない。そして「救い」が信からやってくる以上、芥川には救いはこないのである。(「信」の文学としては、遠藤周作が挙げられるだろう)

その意味で彼の神は小説であり、エホバではなかった。


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狂人・芥川~芥川文学における超現実~

芥川文学は、「鼻」「芋粥」などの古典文学の現代的再解釈からはじまり、「地獄変」に代表される芸術至上主義を経て、「河童」「或る阿呆」の皮肉的・警句的な人間探求へと向かったという解釈が一般的だ。

その解釈に異論はないが、自分は各期ごとに芥川の本質が変化したのでなく、全期を通じ芥川の本質は大きな変化を遂げなかった、と見ている。そしてその本質とは、理念的には「狂への傾斜」、形式的には「詩的描写」である。

発狂した女性を母にもつ芥川の奥底には、「狂」への憧憬というものが見られる。「羅生門」「トロッコ」のように理知的で構築的な文章をものする芥川が「狂」とは、おかしく感じられるかもしれないが、「狂」を題材とする作品(「たね子の憂鬱」、「或る阿呆の一生」、「歯車」など)は、意外におおい。

とくに晩年では、狂を扱った作品の割合が増えていくが、初期の「羅生門」においても、下人が「狂=強盗」と化するカタルシスが描かれており、芥川の「狂」への憧れが強く感じられる。



もっとも芸術至上主義を経た芥川にとっては、「狂」は単なる狂ではなく、後の超現実主義的な実在を加味したものである。芥川の生きた大正時代は、シュールレアリスムの勃興期に当たっており、西洋文学に敏感だった芥川もその影響を受けなかったはずはない。

現に「或る阿呆の一生」に、

・・・彼は四角いレンズの上に小さい軍艦を眺めながら、なぜかふと阿蘭陀芹を思ひ出した。一人前三十銭のビイフ・ステエクの上にもかすかに匂つてゐる阿蘭陀芹を。

という一節があるが、ここでは軍艦と阿蘭陀芹(セロリ)が対比されている。このように一見無関係なもの同士を配置する「構成主義」と呼ばれる手法は、当時の芸術家が多用したものであるが、この技法はやがてシュールレアリスムへと深化していく。



シュールレアリスムが何かといえば、現実以上のリアルをもたらす存在のことで、画家や詩人は、創作のなかにそのような強いリアリティをもつ世界を作り上げ、その仮想世界こそが「リアル」であり、現実世界の方が逆に「にせもの」だという主張をおこなった。

この倒錯にはプラトニズムの影響があるとされる。プラトニズム=イデア論では、我々の見ている個々の事象の背後に、真の実在たる「イデア」が存在すると考える。そしてこのイデアこそが、芸術や宗教の源泉だというのがプラトンの思想であった。

イデア論はキリスト教に取り入れられ、千年以上に渡って、現世=にせもの、来世=イデアという世界認識の枠組みを西洋人に植え付けたのである。

その枠組みに従って芸術家はイデアを目指したが、若き芥川も、この思想にとらわれたようで、より美しい小説を生み出すことにその情熱を傾けた。


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