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絵の記憶

海に近づくと、空気は妙なあかるさを増してせまってくる。わたしはそのあかるさをやりきれないと思いながらも、どこか赦してやっている。

大風が一日吹きあれた次のあさ、貝殻をあさりながら、日々の暮らしですり抜けたことごとを思いかえしてみる。

一昨日のエア・メイルのこと、昨日の製氷器のこと、昨夜の血のついたタオルのこと。ひとつひとつは他愛のないもので、瞬くまに次から次へと押し寄せてくる波にもまれて消えてしまう。

残ったのは、一枚の絵。

一枚の絵がある。ロンドンらしき都市の屋根裏部屋。こどもが、ベッドに膝まづいて窓から外をのぞいている。外は一面の銀世界で、窓ガラスはほとんど曇りながら、真ん中のところだけが息で透明になっている。夜なのだろう、部屋は暗く、ただ外からの街灯りが子供を照らしだしている。

子供はわたしで、わたしは子供になって、なにかを願っている。もっとも、なにが願いかは、わからない。

わたしが幼児のころに住んでいた家は洋館で、当時のわたしは、声のでる鳩の玩具や、飛行機の模型などを願っていたり、いじめっ子がこの世から消え去ればいいと念じていたように覚えているが、願いの中身などはどうでもよくて、むしろ願いそのものが今のわたしに語りかけてくる。

願いはわたしの生まれるよりも前から、その絵の描かれた時代よりも前から、ずっと泉のように流れていた。その流れに打たれて、ひとは願いの痛みを感じとる。痛みを知った日から、ひとはひとになることを決意したにちがいない。

そして痛みに耐えかねて、ひとでないものになろうと思いうかべるとき、彼は海に近づいていく。果てもない波の繰り返しのなかに、彼は青い魔物をみとめることができる。魔物はなにも語らず、なにもせずに、すべてを奪っていく。ただそこには、すべてを奪われたいとおもうわたしがいる。

そうか、屋根裏のこどもは、薄暗がりの街に解けていくことをねがったのだろう。あの窓はこの海につながっていたのだ。海のなかの街が、あざあざとわたしの前に広がっていく。空気は震えながら、そのあかるさを増していく。
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テーマ : 詩・ことば
ジャンル : 小説・文学

<プレスター・ジョン伝説>

エフェソス公会議(431年)で異端とされたネストリウス派は、仕方なく布教活動を東方へ向け、その教義は中央アジアや中国に伝播した。中国では唐王朝の保護を受け、景教として流行したが、その後は廃れた。

一方、中央アジアではネストリウス派は支配階級の一部に伝えられ、それが誤解されて「東方にプレスター・ジョン率いるキリスト教国あり」という噂がヨーロッパに広まった。

十字軍でキリスト教勢が苦境に立たされると

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