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給付金狂走曲

高額所得者はもらう、もらわない、辞退する、各自治体で判断・・・二転三転が相次いだ定額給付金問題。ようやく決着の運びとなった。

結局、迅速に配給するため、所得制限は特に設けず、高額所得者には「辞退」してもらうことになったが、国民の間ではしこりが残り、7割が反対、という世論調査も出ている。

もっとも、景気を刺激しようというのが給付金の目的だから、高額所得者にばらまく、というのは利に適ってないわけではない。とはいえ、その一方でホームレスやネットカフェ難民には支給されない、というのだから、ちぐはぐ感もぬぐえない。

一応、政府もそれを考慮して、住居不定者でも一定期間、同一場所に住み続けた記録や実績があれば住民登録した上で、受給できるようにしてはいる。だが、そのような記録や実績を提出できるホームレスやカフェ難民はごく少数であり、大多数にとっては給付金の恩恵は届かないものと、見られている。

これは日本が住民基本台帳をベースに税金のやりとりをしているからで、台帳に記載のないホームレスは税制上、「存在しない」のである。

住民基本台帳でなく、一人一人に付けられる納税番号をベースにすれば、この種の矛盾は避けられるのだが、納税番号は「国民背番号制だ」「国家の個人管理」「プライバシー侵害」などの反対から、日本では実現しなかったが、ここに来て裏目に現れているといえよう。


ほぼ同時に行われた施政方針演説では、首相は重ねて消費税上げに言及したが、これは国民に、「給付金を仕方ないからくれてやるが、その後は税金でガッポリ巻き上げるYO!」、というメッセージを送っているようなもので、麻生氏の政治家センスが問われるところだ。

そんなことは、給付し終わってほとぼり冷めた後で、ゆっくり言えばいいことである。(まア、それはそれで問題だが)

改革路線が一段と後退し、大増税路線を確定のものとして、話を進めようとする与党の国民無視ぶりは今に始まったことではないが、対抗馬の民主党も補正予算を巡っては、単なる反対野党的な姿しか晒すことができず、与野党ともにポイントを稼ぐことはできなかったように見える。
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二月が来るたびに

今年も恵方巻の季節がやってきた。コンビニなどで山積みされている巻寿司を見るたびに、ある種の不快感をかんじてしまう。

というのは関東には元々恵方巻の習慣がなく、それをコンビニが無理やり広げたという経緯があって、関東人の自分には、いまだに馴染めないのである。

大体、「恵方を向いて黙って食う」というのがいけない。黙って食うなんて辛気臭いし、そもそも「恵方」というのが意味不明だ。

調べて見ると「恵方」というのは「歳徳神」のおわす方角、ということだが、その歳徳神というのがまた良く分からない。

道教でその年の福を司る神というが、牛頭天王の妻や、スサノオの配偶者という説もあり、一定しない。(元々が民間信仰であるので、正体不明は仕方ないといえば仕方ないのだが)


もっとも、よく分からないからヤメロ、という訳ではない。クリスマスもまた、同様に神を祭るイベントで、おそらく世界で最も有名な祭儀だが、その割には不明なことが多い。

そもそもクリスマスはキリストの誕生日ではなかった、という説が有力で、じゃあそもそもクリスマスとは何だったかと言うと、キリスト教伝来以前の、ゲルマン諸族の冬至を巡る祭儀、というのが本当らしい。

しかし由来がどうあれ、クリスマスは非キリスト教国の日本にも、しっかりと根付いている。それは聖歌を歌ったり、プレゼントを交換したり、クリスマスツリーを飾ったりと、色々楽しくなる仕掛けが施してあるからだろう。

もちろん、その裏には「クリスマス商戦」という商売根性が潜んでいることは確かなのだが、それでも騙されてもええわ、という大らかな気持ちになれるのが、クリスマスの威力というものだ。


一方、恵方巻になると、そのような装飾がないぶん、露骨に商売根性が透けて見える。透けるというか、隠そうという意識すら見られないのがイタイのである。

確かに1月下旬から二月上旬にかけては、これといったイベントがない。節分はあるにはあるが、「豆」の売り上げなどたかが知れている。せめてのり巻きでも丸かぶりしてもらって、売り上げを伸ばすぐらいしか、手立てがない。

その手の業界主導型イベントとしては、バレンタインや土用丑の日などがあるが、これらが定着したのは、それなりに需要があったからだろう。

女性側から愛の告白をできるという、欧米にもない奇抜な設定、暑い夏をウナギパワーで乗り切ろうというアイデアは、なかなか合理的で、民心にアピールする華やかさをも持っている。

それに引き換え、黙って、眼をつぶって、恵方を向いて食す、とは何という設定か。そこには何の工夫もないどころか、人を小ばかにしたような仕掛け人の姿さえ、見え隠れする。


似たようなコンセプトのイベントとしては、「聖ジョルジュの日」というのがある。これは聖バレンタインにあやかって、その日はチョコの代わりに本を送ろう、と出版業界が提唱したものだが、ものの見事に廃れた。

というのは本を贈るという地味さ、バレンタインの二番煎じというアイデアのなさ、聖ジョルジュの知名度の低さ、そしてそこから透けて見える出版業界の仕掛け色、というさまざまな悪因が重なったからと、思われるのだが、

黙ってのり巻きを食べるという地味さ、歳徳神の知名度の低さ、そしてそこから見えるコンビニ業界の仕掛け色の濃さ、という「丸かぶり」具合からして、恵方巻なるイベントもすぐに廃れると確信していたのだが、09年に至るもしぶとく残り、なにやら根付き始めた感さえ否めないのである・・・
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