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飯島愛死す

「飯島愛死す」

というので、早速現場に行って見た。現場は渋谷駅にほど近いタワーマンション(インフォスタワー)。セルリアンタワーの裏側に当たり、いつもは静かな場所だが、今夜は報道陣が詰め掛けて騒然としている。


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周辺は高級住宅地。芸能界で荒稼ぎした飯島ならではの住宅だが、同じ高級宅地でも六本木や代官山を選ばず、渋谷にこだわった点は、彼女のコギャル性を表しているようにも見える。


飯島愛。そっちの世界から芸能界入りした女優には、美保純や東てる美などの先輩がいるが、飯島愛はアイドル→タレント路線に転進し、成功を収めた。

成功の秘訣は、頭の回転の速さ、先見の明の良さ、にあったと言われる。

AV女優として活躍していた時から、彼女は稼業に見切りをつけ、転進を考えていた。転進するための条件は「本番をしないこと」。彼女の裏ビデオが流出しないのは、この理由による。

もちろん、AV業界など海千山千の男どもが跋扈する世界だから、その中で本番せずに切り抜けるには、かなりの努力と能力が必要だったことは、想像に難くない。

そしてその力を芸能界に向けたとき、彼女の成功は約束されたものとなった。

「女紳助」とまで呼ばれるトークのうまさ。豪胆なようで、細心な人扱い。コギャルがそのまま成長したようなファッションと姉御気質。彼女の前では、AV出身であることすら、汚点というより武勇であった。


その彼女に翳りが見え始めたのは、5年ほど前だろうか。何か生気のない顔を、TVで目にすることが多くなった。

病気という話もあれば、精神という声もあった。

自伝的な小説をものしたのも、この頃である。文章を書いたことのある人なら分かると思うが、執筆作業はかなり精神に負担をかける行為である。芥川、川端、太宰、三島。日本近現代文学者のうち、自殺、早世しなかった者の方が少ないかもしれない。

AV、芸能界、小説というストレスの多い仕事をこなし続けた結果なのかもしれない。

もちろん、死因は検視を待たねばならないが、彼女は死ぬべくして死んだという印象もぬぐえない。十分に賢いはずの彼女は、どこか、幼い部分を過剰に持っていたように思う。そのアンバランスさが、彼女のキャラの面白さでもあったし、彼女もそれを認識していたフシがある。

彼女が芸能界を選んだのは、そのアンバランスさが価値をもつ市場でもあったからだろう。


だがもう30代後半という年齢は、そのアンバランスさが「痛さ」に転換していく年齢でもあった。そしてそれに直面した人は、幼さを捨てて大人になる道を選択するのだが、悲しいことに、彼女の幼さは、おそらく彼女の本質に根ざしたものであった。

彼女にとって幼さを否定することは、自分自身を否定することだったのである。

通常人は、もっと早い時期に自分の幼稚性に向き合い、これを克服していく術を覚えるが、彼女の場合、幼少時の虐待から逃れるために、幼稚性という砦を築き上げてしまったように見える。ロリ幼女という壁の向こうに隠れていれば、大人たちはそれ以上攻撃することはできないからだ。

また、その壁の後ろで、少女は大人たちを辛辣に観察することが、できるのである。たぶん、彼女の「賢さ」は、そのような逃避の副産物だったのだろう。彼女がAVを選んだ理由も、そこが彼女に幼女という壁を提供してくれる場だったからだろう。(彼女はロリで売っていた)

そしてその壁を壊して現実に向き泡なければならなくなったとき、彼女はむしろ死を選んだ。その日を選んだのは、たぶん、クリスマスを見たくなかったからだろう。


いずれにせよ、飯島愛というタレントはこの世から退出し、我々は彼女の姿を目にすることはもう二度とないわけだ。

もちろん、その隙間は別のタレント-青木さやかやら、国生さゆりやら-が狙っているわけだが、それは似ているようで違うタレントであり、飯島愛を丸ごと穴埋めできるタレントはいないのである。

たとえばベッキーや森三中は居なくなっても、すぐに代わりを見つけることはできるように思う。その意味で彼らは芸能界という娯楽機械の1部品でしかない。

しかし飯島愛とか島田紳助とかは、そのような部品では代替できない、泥臭いテイストを持っている。それは、彼らが芸能界がまだ機械化していなかった70、80年代にデビューしたからなのだろう。

不良やらボクサーやらAV女優やら、奇妙な出身の人々が、おかしく歪んだ味付けでテレビを騒がす。そういった時代がたぶん今日、終わりを告げたのだろう。
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クリスマスの古層

クリスマス、という風習はキリスト教の行事とされている。信者でなくてもこの日は教会に行ってミサに参加したり、プレゼント交換する日本人も多いだろう。

クリスマスの主人公、サンタクロース。キリスト教の公式見解としては、本名は聖ニコラウスといい、3世紀ころ、小アジアにいた司教である。分裂したローマ帝国を再統一した、コンスタンティヌス大帝と同時代の人だ。

ニコラウスはロシア語で「ニコライ」という。東京にある「ニコライ堂」は、(間接的に)この名にちなんだ教会である。

聖ニコラウスはさまざまな逸話を残しているが、身売りされる娘を救うために、その家の窓に黄金を投げ込んだというエピソードが、「煙突から贈り物を投げ込む」サンタクロース伝承へと発展していったという。

しかしニコラウスは地中海沿岸の人で、ソリに乗ったり、真っ赤な厚手のオーバーを着たりしたとは考えにくい。そのいでたちからは、サンタはどう見ても北欧の人である。

実際、「国際サンタクロース協会」では、サンタクロースはフィンランドの住人である、としている。この矛盾をどう考えればよいのだろうか。


そもそも「クリスマス」というのは、どういう行事なのだろう。

キリストの生誕日とされるが、それよりもキリストは4月に生まれたという説の方が自然だ。というのは聖書には「誕生日の晩に、羊飼いらが外で羊番をしていた」と書かれているが、パレスチナ地方の12月、1月は雨季なのである。雨の中、夜通し外にいる羊番、というのも考えにくい。

実はキリスト教以前、北欧やドイツでは冬至を祭る祭礼があったことが分かっている。農業神を祭る祭礼で、太陽の活気を取り戻すためのものだったと考えられている。北欧の冬は寒く、暗いことを考えれば、その行事の切実さが分かるだろう。



そこで考えられるのは、北欧の古層、キリスト教が浸透する前には、冬至前後に現れ、村人に祝福を与える
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