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Wonderful World



Don't know much about history
Don't know much biology
Don't know much about a science book
Don't know much about the french I took

歴史なんてよく知らない
生物なんてよく知らない
科学の本なんてよく知らない
取ったはずのフランス語もよく知らない

But I do know that I love you
And I know that if you love me too
What a wonderful world this would be

でも君を愛しているということは、よく知っている
そして君もぼくを愛してくれれば、
この世界はなんてすばらしいんだろう、ってことも知っている。

Don't know much about geography
Don't know much trigonometry
Don't know much about algebra
Don't know what a slide rule is for

幾何学なんて、よく知らない。
三角法なんて、よく知らない。
代数なんて、よく知らない。
計算尺なんて、よく知らない。

But I do know that one and one is two
And if this one could be with you
What a wonderful world this would be

でも1足す1は2ということは、よく知っている。
そしてこの1が君なら、
この世界はなんてすばらしいんだろう。

Now I don't claim to be an "A" student
But I'm trying to be
So maybe by being an "A" student baby
I can win your love for me

もちろん、自分が「優等生」だというつもりはないさ。
でもそうなろうとしたんだ。
「優等生」になれば、
君の気をひけると思ったのかもしれない。

Don't know much about history
Don't know much biology
Don't know much about a science book
Don't know much about the french I took

But I do know that I love you
And I know that if you love me too
What a wonderful world this would be

La ta ta ta ta ta ta
(History)
Ooh ooh ooh ooh ooh ooh
(Biology)
La ta ta ta ta ta ta
(Science book)
Ooh ooh ooh ooh ooh ooh
(French I took)

But I do know that I love you
And I know that if you love me too
What a wonderful world this would be


Sam Cookeによる50年代ソングの名ナンバー。Art Garfunkelなどによるカバーがあるが、やはり作った本人によるバージョンが一番リズム感が良いと思う。

Sam Cookeは50年代の終わりから60年代はじめにかけて、一世を風靡した黒人シンガーで、ソウルやヒップホップなど、いわゆる「黒人ポップス」の原型を作った人である。

この歌のほかに"Chain Gang", "A Change is Gonna Come"などのロングセラーを世に送り出したが、33歳の若さでその世を去った。死因は射殺。

ある日、女連れでモーテルに泊まった彼だが、その女に逃げられてしまった。管理人の胸倉をつかんで、女の行方を激しく問いただしたところ、身の危険を感じた管理人は、彼を撃ってしまったのである。

その後モーテルは取り壊され、辺りはひっそりしたスーパーになってしまったが、この街の片隅で40年ほど前、この歌の作者が血を噴出しながら、死んでいったのである。


愛があれば勉強なんてどうでもいいさ、という50年代的な能天気さ大らかさには、突っ込みたい気持ちは多いにあるが、それよりも学科名をかりてラブソングを歌うというアイデアに脱帽。

a slide rule(計算尺)というところに時代を感じるが、この歌が大学などで流されているのを耳にすると、苦笑してしまう。
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ホスピタリティともてなし1

ホスピタリティ(hospitality)という言葉は、hostが原義になっている。つまり主人として客をもてなす。歓待する。そういった意味が、hospitalityには含まれている。

ホスピタリティは日本語では「もてなし」と訳すことが多いが、「もてなし」とは「もって成す」、が原義である。物事を処理するために、何かをもちいて、物事を成し遂げる、ということだ。

つまり「もてなし」は、「物事を処理する」というニュアンスを含んでいるのである。実際、古い用法では「彼女をもてなす」というと、「彼女の生活の面倒を見てやる」という意味で使われていた。

また朝廷の儀式などで、席順や待遇などを処理することも、「もてなし」と言われた。「国賓としてもてなす」という用法は、現在でも使われる。

儀式には宴会が憑きものである。そこから「もてなし」は、儀礼上だけでなく、歓待上のことをも意味するようになり、意味のデフレ現象により、後世にはこの意味が主体になっていったと、考えられる。

ただ、現在使われている「豪華なおもてなし」「心からもてなす」などという使い方には、元々の意味である「(厄介ごとを)処理する」というニュアンスが、含まれているように思える。

つまり、本来面倒な存在である客を、うまい具合に処理し、いい気分にさせて帰ってもらう。ついでにお金や恩義なども落としてもらう、という意図が透けて見える。もし「もてなし」に真心の意味が含まれているならば、「心からもてなす」などという、くどい用法は出て来ないだろう。

古来、日本にはマレビトという思想があった。外界から来る人物を、神としてもてなす伝統である。これは日本人のウチ・ソト意識の強さを重ね合わせて考えると、実は災厄をもたらしかねない外からの来訪者を、どうにかなだめて送り返す、という古日本人の知恵の現れではのように見える。

具体的には、おそらく酒と女をあてがう、ということだったのだろう。先の敗戦後、進駐して来たマレビト=米軍をもてなすために「慰安婦」が手配されたのは、有名な話である。

言うなれば、日本の「もてなし」とは、相手のことを考えて尽くす、というよりも、むしろもてなす側の都合で、相手にいい思いをさせて帰ってもらう、というサービスサイドの観点がつよい、と言えるだろう。

ホテルマンや旅館の女将がよく「おもてなし、おもてなし」と唱えるのは、つまりは自分の生活の安定を図るための呪文なのである。

テーマ : ことば
ジャンル : 学問・文化・芸術

Blue Velvet

洋楽 英語



Blue Velvet

She wore blue velvet
Bluer than velvet was the night
Softer than satin was the light
From the stars

彼女は青いベルベットを身に付けていた
夜はベルベットよりも青く
星からの光はサテンよりもやわらかく

She wore blue velvet
Bluer than velvet were her eyes
Warmer than May her tender sighs
Love was ours

彼女は青いベルベットを身に付けていた
彼女の眼はベルベットよりも青く
彼女のやさしいため息は五月よりも暖かく
愛はぼくらのもの

Ours, a love I held tightly
Feeling the rapture grow
Like a flame burning brightly
But when she left, gone was the glow of

ぼくらの愛を、きつく抱きしめよう
喜びがふくらむのを噛みしめながら
明るく輝く炎のように
けれども彼女が去ると、熱はきえてしまう

Blue velvet
But in my heart there'll always be
Precious and warm, a memory
Through the years
And I still can see blue velvet
Through my tears

青いベルベットよ
しかしぼくの心にはいつも残っている
貴く暖かい、記憶が
年月を経ても
そしてぼくにはまだ青いベルベットを見える
涙を通してだけども


Bernie WayneとLee Morrisによって書かれたアメリカ60年代ソングの代表格だが、歌の雰囲気自体は情緒豊かで、むしろ50年代を彷彿とさせる。それもそのはず、この曲は50年代以前に書かれたものである。

Blue Velvetは50年代にTony BennettやThe Cloversなどによってカバーされたが、最もヒットしたのはBobby Vintonによるカバーだろう。63年には全米1位にランクインし、今でもなお「古き良きアメリカ」を偲ぼううという時には、必ずといっていいほど掛けられる名曲である。

velvetはベルベット、あるいはビロードのこと。ベルベットは英語読み、ビロード(veludo)はポルトガル語読みだが、この布地は16世紀にポルトガル経由で日本に入ってきたため、日本では「ビロード」の読みが定着した。

毛織物の一種だが、普通の織物と違い、立体的に毛が折りこまれているため、触ると毛が折れるサクサクとした高級感があり、ドレスやソファなどに多用された。もっともその毛が重苦しいため、今では余り着る人はいないが、50年代では割合好まれた布地であった。上品だが純潔というよりは貴族的・退廃的なイメージがある。

satinはサテンのことで、日本語ではシュスのこと。チャイナドレスなどに使われている、光沢のある絹織物のことだが、「チャイナドレス」という言葉から分かるように、元々中国原産である。蘇州や杭州で織られたこの織物は泉州からヨーロッパに向けて輸出されたが、この泉州をヨーロッパではzaitunと呼び、それがなまって satinとなったという。



だが考えてみると、泉州はzhuanchuと発音するのに、zaitunと呼ばれるのはおかしく思える。一説によると泉州に多く生えている刺桐の発音がzaitunであったという。もっとも泉州という地名があるのに、わざわざ植物の名をあてるのもヘンなので、実際はも少し込み入った事情があるようだ。

というのはザイトンを紹介したのはかのマルコポーロなのだが、実は彼は中国に来ていないという有力な説があるからだ。「東方見聞録」は中国のことになると、記述が曖昧になり、イタリア人なら当然興味を持つ纏足や喫茶などの風習については何もかかれていない。その上、中国側の記録には、マルコポーロのことは一切書かれていない。実際にマルコが言うように、彼がフビライの側近として地方長官となっていたのなら、その記録が全くないというのは不可解である。

そこから推測すると、マルコは実在しなかったか、あるいは実在しても彼は中国まで行かず、ペルシャあたりで元朝と交易していたベネチア商人らの噂話をまとめただけ、というのが真実らしい。後者の説をとると、マルコは実際には泉州に行ったことはなく、べネチア商人が「zaitun」と呼ぶ都市について、聞いたとおりを記述したのみ、ということになる。

もちろん、本当に泉州に行ったベネチア人もいただろう。むしろ、大モンゴル帝国元の一大貿易港である泉州に、ベネチア商人が一人もいないと考える方がナンセンスとも言える。

ところで、ベネチア商人には文盲が多かった。数学にも暗かったから複式簿記が生まれたという説もあるほど、イタリア人は学問には疎かったし、そもそもマルコポーロは文字が書けず、「東方見聞録」は口述筆記で書かれたともいう。

そのようなベネチア人が、およそ中国の文字を読めたとは思えず、彼らは耳を通して中国の地名を学んだと考えられる。そして彼らは中国人がzaitun, zaitunと呼ぶ港湾都市を知り、マルコに告げた・・・

中国では古来、都市をあだ名で呼ぶ習慣があった。北京は燕都、南京は金陵、成都は芙蓉城、の別名をもつ。正式な都市名は時の政権によって変えられることがたびたびあり、庶民の間では、あだ名の方を多用していたようだ。

そして人々が泉州をそのあだ名である「刺桐」(ザイトン)呼んでいるのを耳にして、ベネチア人らはzaitunと記憶したのが、真相とおもわれる。

テーマ : 洋楽
ジャンル : 音楽

Aquarius



Aquarius
水瓶座

When the moon is in the Seventh House
And Jupiter aligns with Mars
Then peace will guide the planets
And love will steer the stars

月が第七宮に入り
木星が火星と並ぶとき
平和が惑星を導き
愛が星々を先導するでしょう。

This is the dawning of the age of Aquarius
The age of Aquarius
Aquarius!
Aquarius!

それは水瓶座の時代の夜明け
水瓶座の時代
水瓶座!
水瓶座!

Harmony and understanding
Sympathy and trust abounding
No more falsehoods or derisions
Golden living dreams of visions
Mystic crystal revelation
And the mind's true liberation
Aquarius!
Aquarius!

調和と理解
同情と信頼があふれ
偽りや嘲りは尽きて
黄金の夢々の幻視
神秘の水晶の天啓
精神の真実の解放
水瓶座!
水瓶座!



水瓶座の時代を神秘的的高揚感とともにに謳い上げた名曲だが、そもそも「水瓶座の時代」とは何だろうか。

水瓶座の時代とは、春分点が水瓶座にある時期、という意味である。

太陽が沈んだ直後、夜空には星座が現れるが、地球は太陽の周りを回っているため、毎日少しずつ見える星座が変わっていき、一年かけて元に戻る。

天動説に従って星座の方を固定すると、太陽は一年かけて夜空を回るように見えるが、この太陽の通り道を「黄道」という。

この黄道が貫く星座は全部で12個あり、おうし座、ふたご座、獅子座などという名前がついている。そう、9月生まれがおとめ座、などと言うのは、9月に太陽がおとめ座を通ることに由来している。(正確には「処女宮」を通る)

もっとも現実には9月の太陽は隣の獅子座にあり、おとめ座にはない。このようなズレが生じるのは、地球が歳差運動を起こし、段々と太陽の動きがずれることが原因だ。

黄道12星座の概念が生まれたのは古代バビロニアの時代であり、それから数千年経っているので当時のやり方と現在とでは乖離が大きくなっているのである。

しかし乖離をもたらさない方法もある。



西洋占星術では、一般に春分点を基準として、黄道を12個に分割し、それぞれに星座の名前を割り当てる(黄道十二宮)。しかし春分点は歳差運動によってズレていくので、このやり方は、次第に現実の太陽の動きとは違うものになる欠点がある。(tropical方式)

その欠点はバビロニアでは早くから認識されていたようで、彼らは春分点でなく、基準恒星をもとに分割する方法を開発した。歳差によって分割基準も変動するので、現実との間に乖離を生じにくいという利点がある。(sidereal方式)

ただ副作用として、春分点が段々とずれていくことになるが、それを逆用し、春分点が位置する星座によって、時代を区分する考えが生まれた。これを「プラトン年」という。

プラトン年によれば、2千年ごとに春分点の担当星座が変わり、その星座の持つ力が人間社会に大きな影響を及ぼすのだという。

たとえば占星術の誕生した時代(紀元前2千年~紀元前後)は牡羊座の支配する時代で、牡羊の闘争性が様々な戦乱をもたらしたという。なるほど、言われてみればこの頃は、ローマ・カルタゴ戦争、中国では戦国時代、日本でも弥生時代の戦乱に明け暮れていた時代である。

紀元前後から20世紀の間はうお座の時代で、西洋では「魚」はキリストを意味することから、プラトン年は広く受け入れられた。魚は神秘を司り、ヨーロッパ中世にせよ、中国唐宋代にせよ、神秘色の濃いキリスト教や仏教が流行した時代でもあった。

そして21世紀からは水瓶座の時代とされる。水瓶座のモチーフは精神性であるが、なるほど、確かに21世紀の経済トレンドは製造業から、サービス業や知識産業など、精神性の高い産業への移行とは言える。



もっとも厳密に言えば、現在はまだ魚座の時代で、春分点が水瓶座に移動するのは500年後のことである。

それにも関わらず、「水瓶座の時代」と言われるのは、それがニューエイジ運動の象徴だったからに他ならない。

60-70年代のアメリカでは、物質文明を否定し、精神文明を唱える運動が活発化したが、占星術によれば水瓶座はちょうど精神や博愛を司ることから、これをニューエイジ運動のシンボルにしたのである。

その流れの真っ最中にリリースされたのが、この曲「Aquarius」だ。

元々は反戦ミュージカル「Hair」のopeningとして書かれたものだが、後にシングルカットされ、世界中でヒットした。

日本人からすると、歌詞が宗教的に聞こえるが、それはこの歌がニューエイジという精神革命の結果、産み落とされたものと分かれば、納得がいくだろう。

テーマ : '70年から'80年の洋楽
ジャンル : 音楽

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