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故郷

故郷

銀に花のさく
春の混じられたこの水辺

わたしは水の音をきく
声はかすれながら はなれながら 遠ざかりながら 踊りながら
あまやかな東のように
わたしを導いた。

沈み行く私の声、声、声・・・
さながら、ふるさとのようにわたしは導かれ
水のかなたにたどり着いた。

わたしはふるさとを持たない
波を引き寄せてはどこにもいかないラグーンのように
しるしはそこにとどまる。

すべては森のように色づき、カワセミのように輝く
岸辺に埋め込まれた錨の 鈍い海に立ち入って
人はみずからの庭にかえる。

渡るひとの絶えた橋がただ
鳥の帰りを待っている
ささやくように、あの銀の鳥を。
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ひかりごけ

ひかりごけ (新潮文庫)ひかりごけ (新潮文庫)
(1992/04)
武田 泰淳

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カニバリズムの純文学、といえば「ひかりごけ」だろう。非常に短い戯曲なので、簡単に内容を紹介すれば、



太平洋戦争後期、北海道の海を航海していた船が難破。幸い洞窟に難を逃れた一行だったが、自分たちが決して救われた訳ではないことを知って愕然とする。

洞窟には食糧がなかったのである。

外は酷寒の吹雪で、食物を得ることができない。吹雪をついて人里に出ようにも、食糧も装備もない。一同はその洞窟で一冬過ごすことを余儀なくされた。

次々に死んでいく仲間たち。残された乗組員らは死か、人肉食かという究極の選択を迫られることになる。

結局、船長以外は死に絶え、翌春、救助された船長は死体損壊の罪で訴えられるが、彼は「今まで人肉を食わなかったものだけが、自分を裁く権利がある」と主張。しかし裁判所にいた人々は、みな罪人ばかりであった。。。


元となったエピソードは実話である。乗組員は軍属で、船の修理のために小樽へ向かう途中であった。船は知床岬で難破。そこの漁師小屋で越冬した一行は、船長を残して死亡し、翌春船長だけが自力で知床半島を南下。羅臼町で救われ、奇跡の生還を果たした「神兵」として絶賛された。

しかしその後人肉食を行ったことが明るみに出、裁判の結果、死体損壊罪で懲役一年の刑を受けた。

武田泰淳はこの事件から「ひかりごけ」を著したわけだが、タイトルのヒカリゴケは北海道の苔類で、洞窟によく自生している。発光するわけでなく、光を反射するだけなのだが、武田はこれを夜光茸のようにとらえ、人肉食という罪を犯した人の首の後ろに光を浮かび上がらせる、とした。

さらに武田は船長が乗組員を殺害したかのような描写をしているが、実際の裁判では殺人罪については無罪となっているなど、色々と脚色がみられる。

最大の違いは、裁判の経過である。事実では船長は従容として罪を告白し、罪に服したが、小説ではふてぶてしいほどに達観し、裁判長から検察までを見下ろすキリストのような存在として描かれている。

船長のロジックは以下の通りである。「なるほど、自分は人肉食を行ったが、それはやむにやまれぬ理由からであった。翻って貴方がたはそのような理由もないにも関わらず、平然として人肉食に値するような犯罪を犯し、しかもその罪に全く気づかないで聖人君子面をしている」


作者は「人肉食に値する犯罪」とは何か、明らかにしてないが、作品が描かれた1954年という年代を考えると、それは戦争での殺人や虐殺であったり、戦後の混乱期における様々な凶悪犯罪だったりと思われるが、「ひかりごけ」が名作とされる所以は、明確に犯罪を定義しないことで、却って犯罪の倫理的意味を読者一人ひとりに考えさせることにあったのだろう。

ただ完全な名作とするには、今ひとつ「罪」への踏み込みが浅い。ドフトエフスキーほど深く罪に切り込め、とは言わないが、「ひかりごけ」は「準名作」といった位置づけが妥当なところだろう。

さて、当時の刑法には人肉食という罪が設定されていない。そのような状況を全く想定していなかったというより、明治政府が手本にしたプロイセン法体系のなかに、人肉食が記載されていなかったというのが事情だろう。

むろんその当たりの事情は現行刑法でも同じで、人肉食が重度のタブーなことには変わりがない。

作中では人肉食は殺人よりも重い罪とされているが、現在では逆のような気がする。殺人はダメでも、(極限状態における)人肉食は許容するという人が、今では多いのではないか。この辺りの感覚の違いは、当時の人々が戦争で殺戮に慣れてしまっていたことに原因があるのかもしれない。

もっとも作者はカニバリズムをそのものを禁忌とするより、「仲間の肉を食う」ことに倫理的嫌悪感を設定した、と考えたほうが近いだろう。最期まで若者が拘ったのは、仲間の肉を食い、食らわれる点であり、もし仲間でない死体が転がっていれば、その肉を食するのにさほど抵抗はなかっと思われる。

仲間の肉を食う、という比喩でもって、作者が糾弾したかったことは何か。それはこの世の根源悪である。およそ他の言葉では表現し切れない、人が人である限り持っているような原罪。世界にその身を割り込ませるだけで、社会に害悪を垂れ流すような歪んだ存在。

それを我々は等しく持っており、人を裁くのなら、まず己を裁かなくてはいけない。

このくだりは聖書の有名なシーンを思い出させる。罪人が縛られて石詰めの刑に処されている。そこに基督が通りかかり、「罪なきもののみ、この罪びとをうて」と言ったところ、誰もその罪人に石を投げることができなかった、というシーンである。裁く側が裁かれる側に変質するというドラマチックな舞台装置を、作者は拝借したわけである。


が、ここではむしろ、氏の「我慢」という思想に着目したい。

作者は何度も何度も、作中の船長に「我慢」をうながす。船長は飢餓に我慢し、仲間の肉を食らうという地獄絵図に我慢し、そして食わねば死に、食えば裁判にかけられるという不条理に我慢している。

船長はそれをさして「我慢というものはいつまですればいいという決まりはない」と言う。言いえて妙である。そう、我慢というものは制限はない。その人が終わりと思えば終わりであり、拡張していえば、人生そのものが我慢の連続である。そして我慢を切り上げた瞬間、その人は人生から退場しなければならない。

観客や読者はこの寸劇を鑑賞しているはずなのだが、このせりふによって、実はこの寸劇は人生の縮図であり、寸劇から人生を照射しているという構成をとっていることが分かる。

さらに船長は「他人の我慢は自分の我慢にならない。自分の我慢は自分でしなければならぬ」と断言するが、これも人生における真理だろう。この世において、我慢しているつもりでいて、その実家族や、職場や、そのほかの人のために我慢していることの、なんと多いことだろうか。

しかしそのような我慢は、本質的にはその人の蓄積にならず、いざというときには無に帰する我慢である。人生において我慢とはその人の生涯の根源的部分であり、それを人にゆだねるものは、結局人生を真に生きてはいないのである。

こうして見ると、究極の我慢である遭難や人肉食というものは、(メタファ的に)実際には人生において必須なものとの解釈も成り立つ。我々はおぞましい体験を経ることで、本当に人間を生きることになるのであり、そのような理想を求めることは、とりもなおさず他人を損壊することである。それを知らずになおも人間らしく生きようとすることが、ひとの原罪なのだ。

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逗子に死す

しかし鎌倉、というのは古ぼけたイメージが強かったが、近年は小洒落た町並みに変貌しつつある。

八幡宮参道など、かつては田舎の商店街のような良く言えば懐かしい、悪く言えば垢抜けないものだった記憶がある。妙に時代遅れの商品が並んでいたり、パッケージが日焼けしていたり、店の奥がそのまま民家に繋がっていたり。

だが今はそういう店はわずかで、主力はヨーロッパ風にデザインされた店舗が多い。といっても表参道のような派手さや、裏原宿のような先鋭さはなく、落ち着いたオトナの雰囲気がある。これが「文京都市」鎌倉の魅力なのだろう。

(一方で江の島は昔ながらの商店街が広がる。わずか数十キロを隔てただけなのに、こんなに違うというのは何か理由がありそうだ)

さて正月7日というのに、八幡宮は大変な賑わい。横須賀から来たのか、海軍軍人の一団まで詣でている。八幡宮は源氏の氏神なことから、武士、ひいては軍人の守り神となったという経緯があり、境内には明治帝の軍勲碑も建てられている。

景気が悪いというのに(悪いからこそ?)、ひっきりなしに宗教グッズが売れているが、それに飽き足らず「御印」まで売られている。これは額にハンコを押してくれるというサービスで、もろもろのご利益があるそうだが、一回千円。それでも行列ができているというから驚き。


荒稼ぎする八幡宮を後にして、西方、化粧坂方面へ。

鎌倉時代、八幡宮には役所が置かれ、近くの化粧坂には有力御家人の屋敷があった。鎌倉というのは極端に平地が少なく、谷間谷間にも家々が並べられていたが、その谷間はすぐに山に入っていく。逆にいえば谷筋さえ抑えれば、鎌倉に侵入することはできない。

そして侵略側は谷筋をどうにか突破しようと、この化粧坂に軍勢を差し向けた。時は1333年(覚えやすい)、将は新田義貞である。

新田氏は源義家を祖とする性和源氏でありながら鎌倉幕府での地位は低く、代々幕府に不満を抱いていたという。義貞は本拠地の群馬から南下。各地で北条軍を撃破し、瞬く間に鎌倉に攻め入った。

進軍がスムーズにいったのは北条体制の衰退もさることながら、鎌倉街道の存在も大きい。各地から鎌倉に馳せ参じるために設けられたこの軍事街道は、逆に反乱軍の速達を許してしまったのである。

しかし化粧坂で進軍はストップ。新田軍はこの隘路をどうしても抜くことができなかった。それは現地に行けば分かるが、兎に角無茶に急な坂で、腹這いになって進むほかないような斜面。刀を抜いたところで、切り上げることも難しい。しかも狭く、ここに障害物でも置かれ、弓矢で射られた日には、どうこうすることもできない。

結局新田はここからの突入をあきらめ、海側から鎌倉を攻略することになるのだが、ここでは坂を上りきってみる。坂下は寺や墓場になっているが、平地の乏しかった鎌倉では傾斜地は墓になっていることが多く、陰気なことこの上ない。

上りきると源氏山頂上となっており、でっかい頼朝像が鎮座している。遠くにはかすかに相模灘も見える。そこから裏を回って手掘り隧道を抜けると、銭洗弁財天。


銭洗弁財天は白ヘビを祀る、水神・龍神系の神社である。境内には洞窟と水源があり、古代人らはその荘厳さに打たれたのだろう。那智の滝など、日本には水を祀る神社は多い。

その後、弁財天がインドから請来されると、この河神は水神と混同され、水神系の神社の中には、弁財天を祭るものが出てくる。さらに時代が下ると弁才天は弁「財」天、つまり富を司るとされ、白ヘビ=水神=弁財天=富神、という複雑な関係が出来上がってしまった。

ただ水にはもともと豊作や水運のイメージがあるため、水神の富神化は自然なものだったようだ。さらに弁才天は女性で芸能神でもあったため、江の島弁才天では遊楽のシンボルとして祭り挙げられたが、これは江の島が行楽地に当たっていたからだろう。

ここ銭洗弁財天では、金銭を洗うと倍になって返って来るという信仰が生まれ、特に毎月巳の日には参拝客で賑わう・・・のだが、今日は2010年初の巳の日に当たっているので、大変な混雑だ。

噴水にコインを投げ入れるなど、水と金銭との繋がりはどうやら洋の東西を問わず普遍的なもののようだが、ここではザルにお札を入れ、上から柄杓で水をかけるというシステムを取っている。こうすれば参拝客は札を流さないし、神社はザル貸し賃で儲けられるという、賢しい知恵である。

以前はビニール袋に入れて洗っていた気がするのだが、今は直に洗う。当然お札は濡れ濡れになるので、後はお灯明などで乾かす。グループで参拝したので、同行者が札を流したり、焦がしたりと大騒ぎ。


参拝後は逗子へ。逗子は鎌倉の隣町で、駅前からバスに乗ると、山一つ越えた南側にある。鎌倉に比べると閑静さが売り物で、別荘やリゾートマンションが多い。

その一つ、逗子マリーナはリゾートマンションのはしりであり、大企業の別荘のほか、川端康成の仕事場があったことでも有名である。

川端は関西の出身だが、東京に出てからは鎌倉に居を構えていた。鎌倉は元々寺社が多く、アカデミックな雰囲気がある上、気候も温暖。横須賀線が通って交通の便も良いことから、文人・文化人が多く住んでいた。

小林秀雄、芥川龍之介、有島武郎、武者小路実篤、志賀直哉のほか、中原中也も鎌倉に住んだ経験がある。胸を病んだ中原中也は扇ヶ谷に療養し、そこで息を引き取った。また小林秀雄は鎌倉で批評活動を続け、鎌倉文人界の中心人物の一人として名を馳せた。

川端もまた鎌倉文人界の重鎮であり、戦前から鎌倉に住んでいたのだが、自宅とは別に仕事場として逗子マリーナに一室を持っていたのである。

そしてそこで昭和47年、ガス中毒死することになる。一般の見解としては自殺となっているが、川端には薬物依存があり、創作上のイマジネーションを膨らませるためにガスを利用して事故死、という見方もある。(当時のガスには幻覚を見せる効果があった)

いずれにせよ、現地の逗子マリーナは海に面した、陽だまりの中に今もある。


逗子マリーナでは、他に殺人事件も発生している。2000年、英国人女性がこの一室で殺害された。遺体はバラバラにされて近くの洞窟に隠されたという「ルーシー・ブラックマン事件」である。

犯人は資産家で、気に入った女性をマンションに連れ込み、薬物を嗅がせた上で、性行為に及ぶのを常にしていたというが、彼がその犯行場所に逗子マリーナを選んだのは、どこか川端に通じるものを感じる。川端もまた、性的に倒錯していたひとでもあったからだ。

マリーナの近くには、幽霊が出るというトンネルがある。子供のころ、何度かこのトンネルを通ったのだが、通るたびに真夏でも背筋が冷えたことを覚えている。おそらく海岸近くにあるので海水が冷媒となっているのだろうが、夜に通りぬけるには確かに肝がいった。

この付近は小坪といい、鎌倉と逗子の境地である。中世においてはそのような土地は葬送の場とされており、今も掘り起こすと人骨などが出てくる。

一体に鎌倉やその周辺は狭い割には墓が多く、合戦も度々あったので、人骨があちこちに埋もれている。逗子マリーナの北側には材木座という砂浜が広がり、夏には海水浴客でごった返すが、そこで昭和10年、多数の人骨が掘り起こされて騒動となった。

人骨の7割近くに傷跡が見られたことから、先の新田合戦の際の戦死者と推定されたが、研究が進むにつれ、その傷が意外に浅く、致命傷にはならなかったことが判明。むしろ傷は遺体を運ぶ際に付いた擦過傷ではないか、という説が浮上。どうやら材木座海岸もまた、境地として葬送が行われていたというのが今日の見解になっている。

しかし昭和10年ということは、川端などの文士らもこのことを知って鎌倉に住んでいたわけである。明るい湘南の陽光と、地下の暗い人骨の織り成す妖しい影芝居に、彼らは魅せられたのかもしれない。

志賀直哉と口語文体の確立

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狂人・芥川~芥川文学における超現実~3

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ただその神は不安定である。ために彼の師である漱石は、小説そのものでなく、小説を通して「人間」を追求することを神とした。人間が社会で生きるためには、何が必要なのかを、小説を書くことで考えることを第一義としたのである。

もし漱石が生きていたら、芥川の小説も新たな方向性を得たかもしれない。しかしその師を早くに失っていた(知り合って1年で漱石は死去)芥川の小説は、現実と非現実との狭間で揺れ動き、やがて「河童」「歯車」など、幻想的な小品を量産するに至った。

フランスの詩人・コクトーは背徳的だったが、その背徳が成り立つ前提として、コクトーの精神の奥底には、基督精神が宿っていた。だがそのクリスチャニズムの根がない東洋においては、欧米式小説をものするのには限界があったとも言える。

むしろ、芥川は母親ゆずりの幻想(または狂気)を武器として、その奥にある実在を探ろうとした詩人的形跡が窺える。たとえば最晩年の作「或る阿呆の一生」は彼の詩的自叙伝だが、「自らを発電機と妄想する狂人」、「椰子の花と吐血」、「空中の硝子天秤」など、象徴的な幻想を通して、自分の経験してきた人生の深みを抉り取ろうとしている。

なるほど、存在とは目に見えたり手に触れたりするものだけではない。その後ろ側には、この世にせり上がろうとする恐ろしい「存在」がひそんでいる。いつもの帰り道が、ある日ある時、ひょんな拍子に魔界への入り口に変貌してしまう。そしてたちの悪いことに、その魔界の方こそが、真実のように見えてしまう。

文学史を紐解けば、そのような詩的diveは彼岸に身をおく超現実主義、そして彼岸と此岸を混在させる現代文学へと昇華していくが、芥川はその入り口に位置した作家でもあった。



彼の遺作「歯車」は、奇怪な暗示に満ちている。

「すると自転車に乗つた男が一人まつすぐに向うから近づき出した。彼は焦茶いろの鳥打ち帽をかぶり、妙にぢつと目を据ゑたまま、ハンドルの上へ身をかがめてゐた。僕はふと彼の顔に姉の夫の顔を感じ、彼の目の前へ来ないうちに横の小みちへはひることにした。しかしこの小みちのまん中にも腐つた鼠(もぐらもち)の死骸が一つ腹を上にして転がつてゐた。
 何ものかの僕を狙つてゐることは一足毎に僕を不安にし出した。そこへ半透明な歯車も一つづつ僕の視野を遮り出した。僕は愈最後の時の近づいたことを恐れながら、頸すぢをまつ直にして歩いて行つた。歯車は数の殖えるのにつれ、だんだん急にまはりはじめた。同時に又右の松林はひつそりと枝をかはしたまま、丁度細かい切子硝子を透かして見るやうになりはじめた。僕は動悸の高まるのを感じ、何度も道ばたに立ち止まらうとした。けれども誰かに押されるやうに立ち止まることさへ容易ではなかつた。…… 」

不可解な文章であるが、ここに出てくる暗示が「死」ということは明白だろう。姉の夫、鼠の死骸、歯車、動悸・・・姉の夫というのは、彼の自殺した義兄のことで、歯車というのは、偏頭痛の発作と言われているが、これは小説であるから、死のメタファとして読むべきだろう。

20世紀初頭における歯車のイメージは、たぶんに機械、工場といった人間抑圧的なものということは、チャプリンの「モダンタイムズ」に読み取れるが、芥川はさらに機械仕掛けの運命論という性質を与えているようだ。(芥川と歯車の関係を論じることはここの趣旨ではないので、おいておく)

しかし、これを読むたび、ゴッホの遺作「カラスのいる麦畑」を思い出す。これは黄金色の麦畑の上に、黒い鳥がまう風景を描いたもので、昼間なのに空は黒いのだ。そこには「星月夜」のような、異常ながらも楽しい精神の高揚は見られず、ただ迫りくる不安に翻弄されている画家の苦しさだけが伝わってくる。

カラスのいる麦畑



その不安は、おそらく芥川とおなじ「実在への根本的恐怖」であろう。実在はその日常の皮を一枚剥ぎ取ると、その下から恐ろしい姿をあらわす。それは特に何をするかという恐怖ではなく、恐怖そのものという根源的恐怖なのである。

芥川は自作に登場させるほどゴッホを熟知していることから、ゴッホの影響は無視できないだろう。そしてゴッホがその実在に耐え切れずに自殺してしまったのとほぼ同じ歳に、芥川も服毒自殺してしまうのである。(ゴッホ37歳、芥川35歳)

偶然というよりも、むしろ二人の間には、何らかの共通性が感じられてならない。

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狂人・芥川~芥川文学における超現実~2

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芥川には、谷崎との間に、小説のあり方を巡った有名な論争がある(「文芸的な、余りに文芸的な」)。小説は筋書きが大事だ、とする谷崎に対し、芥川はストーリーよりも、それをどう表現されたかが、詩的精神があるかどうかが大事だ、と主張した。

なるほど、「南京の基督」にせよ、「地獄変」にせよ、筋的には2、3行で済む小説である。芥川は筋で読ませるタイプの小説家ではなかった。彼は技巧を凝らし、心理描写を尽くし、詩的情緒を凝らして「美しい仮想現実」を作り上げることに、血道をあげていた作家であった。

そのようにして誕生した彼の短編は確かに美しかった反面「何を言いたいのか分からない」「人間が浅薄だ」という批判は、当時からあった。

確かに「奉教人の死」を読むと、彼の文才の美しさ、艶かしさにはうっとりさせられる(芥川には女学生のファンが多かったという)ものの、読了後、「それがどうしたの?」という問いは現れない。

現代文学においては、小説で大事なのは「問い」、とされている。結末は容易には示されず問いだけが示され、読者が自分で答えを見つけなくてはならない。というよりも、答えを見つける作業そのものが小説を読むことなのだとさえ、言われている。その意味で、芥川の小説は近代的であり、大正期の文学であったと言える。



しかし芥川が後世に名を残すのは、近代文学の限界を乗り越えようとしたからでもある。芸術の中に耽溺した芥川は、30代を迎える前後から、創作に変化が出てくる。それまでの明晰な構成・内容をもつ作風から、幻想的な作風へと移りかわっていくのである。

これはある種自然な流れで、若い時代に芸術至上的だった文学者には、中年時に作風を変える人が少なくない。芸術至上主義では、この世をうまく折り合いをつけることが難しいからである。

当時の芥川にとっては、日常は退屈で陰鬱で倦怠感を催すようなものであった。これには薬物使用や文学上の論争、女性関係、親族のトラブル(芥川の義兄が自殺し、残された家族の面倒を見るハメになった)が関与しているとされるが、より本質的には、その煌びやかな物語世界の空気に長年触れ続けた結果、彼はもはや通常世界の空気では生きていけなくなったからだとおもわれる。

(「ああ云ふ飛行機に乗つてゐる人は高空の空気ばかり吸つてゐるものだから、だんだんこの地面の上の空気に堪へられないやうになつてしまふのだつて。……」 ・・「歯車」より)

キリスト教の造詣が深かった芥川は、キリストに救いを求めたが、信じることはできなかったようである(「或る阿呆の一生」)。キリスト教について幾つも創作を重ねた芥川だが、その創作姿勢はキリスト教の真髄を理解し、体得するというよりも、キリスト教からもたらされるインスピレーションや舞台装置を創作に活かすことであったようだ。

たとえば「西方の人」で、彼はみごとに聖書の人物らの心理分析をおこなうが、そこには「知」はあっても、「信」はない。そして「救い」が信からやってくる以上、芥川には救いはこないのである。(「信」の文学としては、遠藤周作が挙げられるだろう)

その意味で彼の神は小説であり、エホバではなかった。


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狂人・芥川~芥川文学における超現実~

芥川文学は、「鼻」「芋粥」などの古典文学の現代的再解釈からはじまり、「地獄変」に代表される芸術至上主義を経て、「河童」「或る阿呆」の皮肉的・警句的な人間探求へと向かったという解釈が一般的だ。

その解釈に異論はないが、自分は各期ごとに芥川の本質が変化したのでなく、全期を通じ芥川の本質は大きな変化を遂げなかった、と見ている。そしてその本質とは、理念的には「狂への傾斜」、形式的には「詩的描写」である。

発狂した女性を母にもつ芥川の奥底には、「狂」への憧憬というものが見られる。「羅生門」「トロッコ」のように理知的で構築的な文章をものする芥川が「狂」とは、おかしく感じられるかもしれないが、「狂」を題材とする作品(「たね子の憂鬱」、「或る阿呆の一生」、「歯車」など)は、意外におおい。

とくに晩年では、狂を扱った作品の割合が増えていくが、初期の「羅生門」においても、下人が「狂=強盗」と化するカタルシスが描かれており、芥川の「狂」への憧れが強く感じられる。



もっとも芸術至上主義を経た芥川にとっては、「狂」は単なる狂ではなく、後の超現実主義的な実在を加味したものである。芥川の生きた大正時代は、シュールレアリスムの勃興期に当たっており、西洋文学に敏感だった芥川もその影響を受けなかったはずはない。

現に「或る阿呆の一生」に、

・・・彼は四角いレンズの上に小さい軍艦を眺めながら、なぜかふと阿蘭陀芹を思ひ出した。一人前三十銭のビイフ・ステエクの上にもかすかに匂つてゐる阿蘭陀芹を。

という一節があるが、ここでは軍艦と阿蘭陀芹(セロリ)が対比されている。このように一見無関係なもの同士を配置する「構成主義」と呼ばれる手法は、当時の芸術家が多用したものであるが、この技法はやがてシュールレアリスムへと深化していく。



シュールレアリスムが何かといえば、現実以上のリアルをもたらす存在のことで、画家や詩人は、創作のなかにそのような強いリアリティをもつ世界を作り上げ、その仮想世界こそが「リアル」であり、現実世界の方が逆に「にせもの」だという主張をおこなった。

この倒錯にはプラトニズムの影響があるとされる。プラトニズム=イデア論では、我々の見ている個々の事象の背後に、真の実在たる「イデア」が存在すると考える。そしてこのイデアこそが、芸術や宗教の源泉だというのがプラトンの思想であった。

イデア論はキリスト教に取り入れられ、千年以上に渡って、現世=にせもの、来世=イデアという世界認識の枠組みを西洋人に植え付けたのである。

その枠組みに従って芸術家はイデアを目指したが、若き芥川も、この思想にとらわれたようで、より美しい小説を生み出すことにその情熱を傾けた。


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絵の記憶

海に近づくと、空気は妙なあかるさを増してせまってくる。わたしはそのあかるさをやりきれないと思いながらも、どこか赦してやっている。

大風が一日吹きあれた次のあさ、貝殻をあさりながら、日々の暮らしですり抜けたことごとを思いかえしてみる。

一昨日のエア・メイルのこと、昨日の製氷器のこと、昨夜の血のついたタオルのこと。ひとつひとつは他愛のないもので、瞬くまに次から次へと押し寄せてくる波にもまれて消えてしまう。

残ったのは、一枚の絵。

一枚の絵がある。ロンドンらしき都市の屋根裏部屋。こどもが、ベッドに膝まづいて窓から外をのぞいている。外は一面の銀世界で、窓ガラスはほとんど曇りながら、真ん中のところだけが息で透明になっている。夜なのだろう、部屋は暗く、ただ外からの街灯りが子供を照らしだしている。

子供はわたしで、わたしは子供になって、なにかを願っている。もっとも、なにが願いかは、わからない。

わたしが幼児のころに住んでいた家は洋館で、当時のわたしは、声のでる鳩の玩具や、飛行機の模型などを願っていたり、いじめっ子がこの世から消え去ればいいと念じていたように覚えているが、願いの中身などはどうでもよくて、むしろ願いそのものが今のわたしに語りかけてくる。

願いはわたしの生まれるよりも前から、その絵の描かれた時代よりも前から、ずっと泉のように流れていた。その流れに打たれて、ひとは願いの痛みを感じとる。痛みを知った日から、ひとはひとになることを決意したにちがいない。

そして痛みに耐えかねて、ひとでないものになろうと思いうかべるとき、彼は海に近づいていく。果てもない波の繰り返しのなかに、彼は青い魔物をみとめることができる。魔物はなにも語らず、なにもせずに、すべてを奪っていく。ただそこには、すべてを奪われたいとおもうわたしがいる。

そうか、屋根裏のこどもは、薄暗がりの街に解けていくことをねがったのだろう。あの窓はこの海につながっていたのだ。海のなかの街が、あざあざとわたしの前に広がっていく。空気は震えながら、そのあかるさを増していく。

テーマ : 詩・ことば
ジャンル : 小説・文学

赤い実験

   のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

言わずと知れた茂吉の代表作だが、この短歌のどこがいいのだろうか。「赤い」が効いているのだろうか。そこで「のど赤き」を削除してみる。

   玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

悪くはないが、これだと何か、ツバメが二羽、仲良く連れ立って臨終中の母を見下ろすという、滑稽さが出てきてしまう。「のど赤き」は必要なのだ。。。。では「のど」は要らないだろうか。


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ヶガ

ときどき外国の方に日本語をおしえているのだが、今回の質問は「ヶはどうしてガと読む?」。

なるほど、「霞ヶ関」「堂ヶ島」「鬼ヶ島」は、すなおに読めば、「かすみケせき」「どうケしま」「おにケしま」。日ごろは「ヶ」は「ガ」に脳内変換されるのでこういう疑問を持たないが、外国人はそのような脳内回路をもたないので、疑問におもわれるようだ。

もっとも、「ヶ」は「ガ」だけでなく、「カ」と読むこともある。「二ヶ月」「一ヶ所」という使い方だ。

実は、「ヶ」はかたかなの「ケ」ではなく、漢字の「箇」が元になっている。この竹冠だけが抜き出され、簡略化されて、「ヶ」になったのである。そして「箇」は「個」と同じく、数詞である。元来は

     「二箇月」「一箇所」

と書いていたのを省略して、

     「二ヶ月」「一ヶ所」

と略記したわけだ。これが普及すると、「カ」を「ヶ」と書くのが簡単でクール、というので「カ」音と発音の近い「ガ」音までもが「ヶ」と書かれるようになったのらしい。結果、

     「霞が関」「鬼が島」

     「霞ヶ関」「鬼ヶ島」

とも書かれるようになったのである。

テーマ : ことば
ジャンル : 学問・文化・芸術

誕生

あの頃は
記憶、
水のなかのたわむれ、
夏の樹木のささやき
わすれない
鐘のおと、
解けていく影
蝋燭のあやしさ、
乳房の砂
白い壁のうえ
付けられた傷痕
わかかった森の
ふりかえれば
銀貨
雨がふる木曜。

目をひらくたび 
とおのく
なでるたび
砂になる
遠くてみえない
初夏の雲
逃げていく自転車
鉄のあかい夕陽
わすれない
足音、
落として見せた
ため息、
傷をなでる子ども
せりあがる舞台
点滅する灯り
ながれだす電気
青さにたえかねて
虫になろうと
声をふるわせて
さなぎ。

テーマ : 自作詩
ジャンル : 小説・文学

風景をえがく

風景をえがく。
えがきながら、わたしは、忘れてきたさかなをおもいだす。
昨日は浜辺に捨てられていた、愛されなかったさかな。
さかなのほどけて沈むさまを、わたしはじっと見ていた。
あの陽炎のようなゆうぐれを、なんどめぐって来ただろう。
風景は、いつもうそをつく。
うそをつかれることに、もう慣れている。
わたしはそれでも風景をえがく。

はっと初夏の風が、わたしをめくる。
めくられるたび、わたしはほねを数える。
ほねは水にそよぎながら、わたしをたたく。
風景は、いつも海鳴りのように。
わたしの喉もとをさらっては、水底に沈めてしまう。
そこでわたしははじまりの音をきく。
なんどでも、なんどでも。
くりかえし風景はえがかれる。

かぜとなりたや

  かぜとなりたや

はつなつのかぜとなりたや
  かのひとのまへにはだかり

かのひとのうしろよりふく
 はつなつの はつなつの
  かぜとなりたや

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横浜に生まれ、東京・青山にそだち、アラスカに放浪し、帰国後は英語教師をしていた版画詩人、川上澄生の代表作。

好きな女性の前に後ろにまとわりついて離れない、というモチーフを川上は好み、「鬼」となって女性を追いかけて抱き付こう、という詩もあるぐらいだ。今の世に生きていたら、おそらくストーカー行為でタイホされたにちがいない。

だがその男性的な厭らしさが、「風」という言葉が見事にうちけされ、「初夏」という接頭辞とあいまって、爽やかささえ感じてしまう。川上の詩には、こういうハイカラなセンスがよく見受けられる。

ただこの詩は単に爽やかなだけでなく、やはりその背後には性的なものをかんじる。もっともそれは純化された性や、大らかな生命性とでもいふべきもので、初夏の精液にも似た草木の生臭さ、その生臭いという人の認識の外で営まれるこの世界の気流というものを感じさせてくれる。

その風はもはや人でも無機質でもなく、意識をもった外側で、西日に当たる煉瓦壁のようなものだ。わたしたちはそこで静かに朽ちながら、ただ純粋な意志と生命をもって、この世界の一部をひらいていく。あるいは、とじながら。



Mansions & Dragons 04:反芻

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自室に戻ると、すっかり日は暮れていて、街の灯りが差し込んでいた。「月の砂漠」の音楽も聞こえてくる。(それをテーマソングにした巡回牛乳屋のトラックが走っているのだ)。いつもと変わらない夜の風景だが、今日は何かその風景がうそ臭いもののように見えて仕方ない。

ソファにどっかと身を落として、先ほどの議論を反芻してみた。

・・・確かに、おかしなことだらけだ。

隔離説をとると、腑に落ちないことがいくつもある。副理事が言った事柄もそうだが、大体食糧を与えないで隔離するなど、信じられない。これでは死ね、と言っているのと同じではないか。

あるいは、政府は死んでほしいのかもしれない。一度かかれば必ず死ぬ。そういった恐ろしい新種の病気が大量発生して、手の付けようがなくなった。。。そして、この街は既にその病気で死の町になった・・・

いやいや、現にこうして町の声が聞こえている。耳を澄ませば、バイクの過ぎる音、酔っ払いの罵声、牛乳売りの声がこだまする、いつもの町だ。少なくとも、音声からは、異常はこのマンションにしか見られない。

しかし、隔離じゃないとしたら、この状況をどう解釈するか。アイデアが全く浮かばない以上、やはり「伝染病による隔離」と考えて、自分を落ち着かせる以外なかった。

群青 - Ultramarine -



日経WBSの以前のエンディングソング。タイトルは「群青 - Ultramarine -」(福山雅治)。都会派でありながら、情熱のある語り口が、経済番組のトリを飾るのに相応しい歌だったのだが、今は気の抜けたようなEDになってしまって残念。

群青とは、"lapis lazuli"(ラピスラズリ)を原料とする岩絵具。アフガニスタンで産出される鉱物で、lapisは石、lazuliは空、つまり「青空石」の意。

古来より青色顔料として使われ、ヨーロッパでは地中「海を越えて」運ばれたため、"ultra-marine"の色名が付いている。

最もこの鉱物は貴重なことから、後年にはより安価な"azulite"(藍銅鉱)が使われるようになった。azulは先述の通り「空」「青」を意味し、liteは石を表す接尾語だから、ようするに「青石」。

青顔料には、ほかに"prussian blue"(プロシャ青)などがあるが、群青はultramarine, lapis lazuliなどという名前から、ポエジーが湧くと見えて、文学や音楽のテーマによく使われる。


さて、この歌が感銘を与えるのは、単なるラブソングではなく、「祈り」をテーマに絡めているからだろう。

愛が祈りや願いに変わるときは、その歌が普遍を獲得するときでもある。
自分の卑小さを実感するときは、大きな存在に気づくときでもある。

この歌は、愛を歌っていながら、その実、裏につよい宗教性を秘めている。「あなたを愛したい」「あなたに愛されたい」という祈りは、神への思慕に重なっている。

むろん、日本では宗教はあまり根付いているとは言えない。そのため、神について言及する作品をものするときには、メタファにメタファを重ね、曖昧なかたちにすることが多い。

この作品でも、「群青」を触媒として、その字(あざな)"ultra-marine"を経由して、いわば「人の愛」を超えて、「永遠の愛」に至ろうとしている。

その姿勢が一途であり続けているのが福山の稀有な資質の一つで、またその資質が福山と、たとえば彼と尾崎豊とを分ける分水嶺でもあるように思う。

尾崎も優れたアーティストだが、その情熱は破壊を続けることによって、生み出されたもの。彼は大人の世界を壊すことを自らのテーマにすえ、その破壊(→夜の校舎窓硝子壊して回った)の向こうから見える、生の人間の営みを聖なるものとしてたたえた(→きしむベッドの上で優しさを持ち寄り)。

そうして自分がその大人の側に立たされたとき、彼には自殺しか道は残されてなかったのだろう。いわば尾崎は、一途に死を選び続けたわけである。


それに対し、福山は絶対者を通して生への回路を模索しようと、「明日を信じ」ようとする。その願いはゆるされるのか。

Mansions & Dragons 03

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そうこうしている内に、昼になる。幸いガスと水は生きているので、ラーメンを作ることにした。しかし冷蔵庫を開けて気づいたのだが、このまま電気が来ないと、早晩、食物が傷んでしまう。

非常食は一週間ほど用意してあるが、もし本当に「隔離」なら、節約して食いつながないとならない。

そういうバカバカしい考えがアタマをよぎるが、夕方になると、そのバカバカしい考えが次第に現実味を帯びてきた。

降りていくと、管理人室で管理組合の面々が集まっており、何事か言い争っている。

「ですからね、これは隔離なんですよ」
「ばかばかしい。知らせもなしに隔離なんて、ありえんよ」
「そりゃあなた、知らせたら逃げちゃうじゃないですか」
「百歩譲って隔離としてもだ、どうして誰も通らない?このマンションの前を」
「それは・・・この町内全体を隔離してるんでしょう、たぶん」
「それだったら、町内には町内の人が出歩いてもいいはずだろう」
「何か理由があるんでしょう」
「どんな理由だ」
「そんなの知りませんよ。わたしゃ専門家じゃないですし」
「まあまあ」

と、管理人と理事長の口論に割って入ったのが、副理事だ。
「確かに隔離、と考えるとおかしな点がいくつもある」
「そうだろ」
「仮にエボラウィルスのような強烈な伝染病が発生したとしても、この国はそれをコントロールできるだけの保健対策があります。SARSのときも、諸外国で発生騒ぎがありましたが、日本だけは一人もかかってないんですよ」
「ですが」
「まあまあ。仮に隔離としても、何もこんな風に玄関の電源を切って閉じ込めるより、警官を配備した方がよほど楽で確実です」
「そうそう」
「だから、隔離というのはおかしいんですが、といっても、他に原因が思い当たらないのも事実なんです」
「ですよね」
「大体、われわれを閉じ込めて、何のメリットがあるというんですか。ないでしょ、伝染病以外」
「・・・じゃ、仮に伝染病として、だ」
と、理事長は顔をしかめた。

「我々はどうすればいい」
「そりゃ、」
と副理事は言いかけて、口をつぐんだ。
「いつまでここに居なけりゃならん。私はリタイア組だから別にいいが、蜀のある若い人はどうなる・・・それに、私だって明日には病院いって糖尿の薬をもらわなきゃならん」
「理事長、それよりも、食べものですよ、問題は」
と副理事は妙なふうに眼を輝かせた。

「食べもの?」
「いつまでこの監禁が続くか分かりませんが、三日も四日も続くとなると、食糧が尽きるご家庭も出てくるでしょう」
「なるほど、食糧が尽きる、か」
重苦しい沈黙。
「それは・・そうだな。じゃ、あれか。備蓄を使うか」

ドラゴンマンションでは、不測の事態に備えて食糧や水を備蓄しており、それを各戸に分配することとなった。ただし全部は配らず、半分は残しておくこととした。この「監禁」が、どれぐらい続くのか、誰にも分からなかったからである。


次回はこっち

Mansion & Dragons 02

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「まだ開かないんですか」

管理人に聞いてみると、今朝は不思議なことに、誰もやってこないのだという。いつも10時にくる郵便屋も、清掃業者も、今日はまだ来ないし、毎朝毎朝性懲りもなく世間話に来る近所の菓子屋の女将や、理髪店の主人も来ないのだという。

「おかしいですね」
「ええ」
「ひょっとすると、何か・・・起きたのかも」
「え、なんです?」
「はは、いえ、映画やドラマなんかでは病原菌が発生して、建物ごと封鎖されちゃうんですね」

管理人は顔を曇らせたので、急いで付け足した。
「いえ、もちろん冗談ですよ。もしそうなら、保健所なり警察なりが来るでしょうから」
「・・・・」
「冗談ですって」
「あの、きたんですよ、警察」

少し間をおいて、管理人は喋り始めた。
「昨日ですけどね、警察の方がお見えになって」
「え?」
「いえ、封鎖するなんてことじゃなく、単なる巡回ですけどね、いつもの。おかしなことはないか、おかしな人はいないかの調査で」
「・・まあ、それと封鎖は関係なさそうですが」
「でも、保健所の方も来たんですよ」
「保健所も?」
「それは、近所で伝染病が発生したから、気をつけるようにってチラシを配りに来たんですが」
「でも、実はこのマンションで、で、伝染病が?」
「・・・ええ、その下調べに来たのかも」

黙っていると、管理人は次々に追い討ちをかけてくる。
「実際、13階の藤森さん。ここしばらく寝込んでいるんですが、もしかしたら」
「根も葉もない噂をいわんでくれよ、管理人さん」

振り向くと、管理組合の理事長が立っていた。
「藤森さんは単なる風邪だよ。大体、本当に伝染病なら、連絡があってしかるべきじゃないか、この私に」
「ええ、でも連絡すると、逃げられるかもしれないって」
「逃げる?ばかな。私は逃げも隠れもせんよ」

理事長と管理人は仲が悪い。ただ管理人は管理公社が派遣してくるので、理事長の意向だけでは首をすげ替えることはできない。それがまた、理事長のしゃくに障るようだった。

犬猿の二人をおいて、自室に戻る。

管理人はああ言っていたが、民主主義国家では、住民に知らせもせずにいきなり監禁、なんてことは有り得ない。これは何らかの間違いだろう。だろう、とは思うのだが。


次回はこちら

Mansion & Dragons 01

「どうしたんですか」
朝、出ようとすると、マンションの出口に人がたかっている。
「いえね、出られないんですよ」
「ドアが開かないんですか」
「どうも電気が切れてるらしくて」

このドラゴン・マンションは、玄関がオートロックになっており、出るときは自動ドアで開くようになっているので、電気が来ないと外に出られなくなる。降りるときエレベータが動かないので階段を使ったのだが、そういう理由だったのか。

「じゃ、裏口から出ればいいじゃないですか」
と誰かが言う。
「いえ、それが裏口は修理中なんですよ」

そうだった。裏口はフェンスが錆びきっていたので、コンクリートで閉じて、別なところに裏口を作っている最中だったのだが、これでは出口がない。

「困りましたね」
「業者を呼んで、直してもらいましょうよ」
「それが工事のとき、電線やら電話線やらを切ってしまったらしく、通じないんです」

普通なら携帯を使えば良いのだが、ドラゴンマンションはコンクリートが厚いせいか、電波の死角になっているせいか、携帯が通じない。

「困ったな。会社に遅れてしまう」
「二階があれば、よかったんですが」

ドラゴンマンションは二階から十階まで、ある銀行の保管庫になっており、それらの階にはベランダも窓もない造りになっている。だから二階のベランダから飛び降りる、ということもできないのである。

「そうか・・こういう問題があったんだなあ」
「どうしてこういうマンションに入ったのか、私も不覚ですよ、はっはっ」
「まあ、こうなったら仕方ないですね。不可抗力です。ジタバタしてもしょうがないから、誰か来るのを待ちましょう」
「そうですね、郵便やさんなり、新聞やさんなり来るはずですから」
「とりあえず、ソトから見えるように、玄関に張り紙しておきましょう」

そのように話が決まったので、自室に戻った。幸い、今日は午後から仕事場に顔を出せば良いので、ハラをくくることにする。

電気が切れてるので、TVもネットも見れず、ぼーっとベランダを開けて外を見る。いつもと変わらない、都会の風景が広がる。川岸の桜は、そろそろ咲き始めている。左側にはクレーンが見えるが、あれは別のマンションを建設中だ。遠くには電車が走っているのも見える。

いつも朝は寝ているか、出勤の支度をしているので、あまり気に留めない風景だが、改めてじっくり見てみると、それなりに味わいがある。

味わいがあるのは良いが、一時間も見ていると、さすがに飽きてきた。階段を下りると、玄関はまだ閉まったままだ。


次回はこちら

Nの思い出

西に向かって、ずっと歩いてみたはいいけれど、こちらのマンションで行き止まり。引き返して別な道を辿るのだけど、やはりそちらもコンクリートの壁に阻まれて先に行けない。

仕方ないので壁を乗り越えて、薄暗い路地とも言えない、ビルとビルとの狭間を蠢いて前進していくのだが、そうした幾軒目かの窓から、テレビがもれ出ている。

見るともなしに、そのテレビにNが出ていることを知ると、
「ええ、西に向かってもですね、行く道がないんですよ」、とNはいう。
広げられた都市の地図は、血管のように脈動している。
「嘘だ」、と自分の側にいるNはいう。「信じるな」。

自分も嘘だと思う。ああして喋っているのは自分で、こうして歩いているのはNなのだから、嘘というのは明白なのだ。けれど。ただ自分でも嘘を嘘と信じ切れなくて、足を速めていく。

暗がりの小学校のグラウンド、フェンスの破れを潜り、城のような飾りつけのついた寿司屋の店先を過ぎて、道端で寝ている人々をまたぎまたぎ、白い灯りのともった商店街のアーケードを突っ切っていく、その果てに枯れた噴水があった。

そこにはAやらYやらTやらがいて、噴水を囲んで、何事かを囁きあっていた。自分も彼らの間に座って見ているうちに、噴水に水が戻ると、その中に、もう一組の自分がいることに気づいた。

「そう、その扉を開けて入るのよ」
とNの鋭い声が響くと、もう一人の自分は古ぼけた洋館の扉をぎちぎちと、体重をかけてこじ開けようとしていて、開いたその隙間から、二人は入り込む。庭の裏手にはもう寂れた小屋が置かれていて、その中から窓を開けようとする。

窓は木枠にしっかりと打ち付けられていて、取り外すのはたやすい作業ではない。ただ自分は一つずつ、その作業を続ける。木を強くはがすと、潮のにおいがしたように思えた。一枚ずつ剥がしていくのだが、そのたびにぼんやりとした外光が差し込んでくるのだった。

一応

元ネタはこちら。

リンク切れのときのために、内容を述べておくと、「一応、ハーバード大学です」、「ホームページは一応できております」、「一応可能性のある機能をすべて含めております」、の「一応」は、傲慢さや不完全を表す「悪い言葉」だから、使ってはならない、という趣旨。

しかしそうだろうか?「一応」調べてみようw。

辞書などを見てみると、。「一応」は元々、「一往」と書いて、「一通り」と同じ意味だった。つまり、道を出発点から目的地まで、一回、急いで軽く歩き通す。そこから、

   1 十分ではないが、ひととおり。大略。大体。「これで―でき上がりだ」

の意味が出てきた。元来は悪い意味ではないのだが、「十分ではない」→「不十分」「不確か」「未完成」と、上のようにネガティブに受け取る人もいるわけだ。

また「一応」は、大体分かっているが、確認のために、もう一度行ってみよう(一往)、ということから

   2 ほぼそのとおりと思われるが、念のために。「―見直しましょう」

の意味をも持っている。さらに1からは、「私ごとき、まだまだ不十分です」、という

   3 謙遜、謙譲。

の意味でも使われるようになった。つまり、「一応ハーバード大学を出ている」と発言している人は、3の意味で使っていると考えられる。ストレートに「ハーバードでているよ」と言うと、相手を不愉快にさせかねないので、「一応」を付けてソフトにした訳だ。

ただ、この言葉は1「不十分」の意味も持っているので、悪いイメージを持っている日本人もいる。その人には、「一応東大出ている」という言葉は、逆に傲慢に聞こえるのであろう。

同様に、「一応、ホームページができている」という言い方は、

   3、完全に出来ているのだけども、謙遜している
   1、まだ仕上がっておらず、不十分だ

の2通りの意味が考えられるので、必ずしも悪い意味ではないことが分かる。さらに「一応可能性のある機能をすべて含めております」、の「一応」は、2の「念のため」、の意味で使われており、話者はむしろ、確実を期して「一応」を使ったのだが、作者はこれを「不完全」と一方的に受け取ってしまったわけだ。

2の意味では「一応、病院に行った方がいい」という使い方もあり、「多分、大丈夫だろうけど、手遅れにならないように」という意味だが、作者にとっては「どうせだめだろうが、行って来い」という侮辱的なニュアンスを感じてしまうのだろう。


日本のようなハイコンテクスト文化では、言葉の意味は解釈の余地が大きくなる傾向がある。言葉遣いは丁寧に、慎重にしないと、すぐにでも糾弾されてしまう。

ただ、この例の場合は、むしろ善意を悪意に捻じ曲げて受け取る聞き手の方に、問題があるように思われてならない。

どこまでも相手に合わせて自分の言葉を変えていくと、自主性が失われかねない。根性の悪い聞き手に付き合って無理やり言葉遣いを変えたところで、やがて破綻してしまうのは目に見えている。

話者側のみに問題があり、絶対的に正すべきだ、という「聞き手絶対主義」は、改めるべき時期に来ている。

塩をまく

おまえに塩をかけると、おまえは鈍くうねりながら、体を縮ませて、
塩をかけ続ける、灰色のおまえは、なおものたうちながら、
盗まれた水をとりもどそうと、コンクリートを黒く湿らせていく。

おまえに、さらに死をかけてやろう。
からだをひねるたび、わたしは夜の内臓をなでるような、
身の毛のよだつような快感をたどる。

その悦楽の海で、たしかにわたしとおまえはつながっている
くらい、原始のうみで、わたしはひとつの夜光虫となりながら、
やはりおまえの身体をよじらせている。

あるいは、遠いラグーンで水をうしないながら
なおも泡だちをつづけるお前だったのかもしれぬ。
その艶かしい反復運動を、わたしの粘膜はおぼえている
そのなかにあのやるせない愛情もあったのだ。

伸びる著作権保護期間

著作権法を改正し、保護期間を50年から70年に延ばそうと言う動きが広がっている。

背景としては、欧米では70年に設定している国がほとんどで、日本もそれに足並みを揃えようという国際的圧力がある。50年を取っているのはイラクやエジプト、中国やモンゴルなど、発展途上国が多く、そこから抜け出すべきだ、という日本政府の先進国意識も働いているようだ。

実際、同じく50年だった韓国も07年に延長法案を閣議決定。日本だけが取り残されるという構図は避けたいと言うところだろう。

そもそも、著作権が作者の死後50年間も保護されているのは、遺産として遺族の生活を保障するのが目的であった。そして平均寿命の延びにより、保護期間が50年から70年に伸びるのは当然といえば当然とも言える。


しかし、実際の著作者は、保護期間が伸びることに賛成な人ばかりではない。たとえば批評家の竹熊健太郎や劇作家の平田オリザなどは、反対の意向を示している。

というのは著作権が強化されれば、それを自由に引用して批判することや、自由に上演してもらうことが難しくなるからだ。

またオマージュやパロディの問題もある。批判や二次利用、パロディといった著作を豊かにする道具が余計20年間許されなくなることは、著作者にとっても好ましいことではあるまい。

そもそも保護期間が延びると創作意欲が増す、という著作者はあまりいないと言われる。保護は必要だが、別に50年でも70年でもいいじゃないか、という人が多いように思う。

それでも執拗に法改正が望まれているのは、著作者よりも、むしろ企業側の論理と考えると分かりやすい。


たとえば、ディズニーの著作権がきれそうになると、その度に著作権法が改正され、著作権が延長されるという有名な話がある。

元々ミッキーマウスらの著作権保護期間は50年だったが、その期限が迫ると70年に延長され、その新期限がやってくると、今度は95年に再延長された。(アメリカの保護期間は個人は70年、法人は95年)

いかにも著作権ビジネスが確立しているアメリカらしいエピソードだが、そのアメリカでは、ipodの普及により、アルバムでなく、一曲ずつ購入する購買スタイルが定着。音楽企業の収益が悪化しているという。

しかし消費者にとっては、好きな曲だけかえる一曲購入スタイルは歓迎すべきものだし(考えてみれば、CDの販売方法というのは、いらない曲まで買わせる抱き合わせ販売だったわけである)、作曲・演奏者側にとってもメリットがあると言われる。

というのはダウンロード販売は、音楽ビッグビジネスによる中間搾取が省け、たとえ一曲購入で販売額そのものは減っても、音楽家に入る額は増えるからであり、実際、ダウンロード販売に異を唱える音楽家はほとんどいない。

日本でも、著作権の解除を望む著作権者の意向を無視し、著作権料を取り立てるJASRACのエピソードに代表されるように、クリエーターと著作権ビジネス企業との乖離が目立ち始めている。


このあたりの事情は錯綜しているので整理してみると、

消費者:著作権強化に反対。
創作者:反対かつ賛成。
企業:  賛成。

となる。ここから、著作権問題が複雑なのは、創作者が二義的なスタンスを取っているためであることが分かる。

したがって最初にそれを取り除けて考えれば、そこには消費者VS企業という見慣れた構図があるだけである。つまり、圧倒的な力をもつ媒体企業が、製造者から買い叩いたものを高く消費者に売りつけて、暴利をむさぼっている、という図式だ。

そしてこれに対する不満や鬱屈が、日本での著作権強化反対の原動力になっていると思われる。

確かに印税は3~10%で、同じく流通業者の手を通して販売される牛乳の40%(原価80円、販売価格200円)に比べると、著しく低いことが分かる。音楽の場合、プロダクションやプロモーターの中間搾取も加わるので、印税率が1%だったり、小銭をもらって著作権を放棄、というケースも少なくない。

そのような状況にメスを入れずに著作権保護だけを強化しても、消費者や製造者の利益にならない、という論理はわかりやすい。


一方、創作者の立場は両義的だが、この両義性は、「新たな著作は、前人の著作の上に成り立つ」と言う著作の本質に由来する。元来、著作空間を豊穣なものにするには、著作権など、邪魔なだけなのである。

しかしそれでは著作者の生活や創作意欲を保護できないという金銭的な理由で、著作権が設けられたわけである。

とすると、現行著作権を「非営利利用」と「営利利用」に切り分ける、という解決策がある。つまりお金儲けでない限り、著作は自由に使ってもらい、それによって創作を活発にし、新たな著作物を社会に還元するという発想である。

ガチガチに著作権を守りつくした挙句、クリエータ・コミュニティ全体を萎縮させ、著作ビジネスを衰退させるというのも、企業側にとって有益な選択ではあるまい。

このような試みはソフトウェアの世界では既に行われおり、非営利利用によって多くの人に知ってもらい、営利バージョンを販売することによって利益を上げる、というビジネスモデルが確立している。本や音楽の世界でも少しずつ広まっているが、その速度はカタツムリのように遅い。


それは一つには、作家や漫画家には「人格権」を重んじる人が多いせいだろう。人格権とは、作品を利用するさい、元々の設定を変えてはならない、とする権利のことで、森進一の「おふくろさん事件」などが有名だ。

「おふくろさん事件」とは、作詞家に無断で森が歌詞を加えて歌い、それを作詞家が訴えた、という事件だが、その提訴が成立したのは、「歌詞は歌われるときには、一字一句変えてはならない」とする著作人格権が存在していたからである。

ハタから見るとバカバカしい騒動で、当の作詞家にとっても、創作の根本に関わる切実な問題というより、単に法を盾にとって、森にいやがらせをしたかっただけのように思えるのだが、銃夢ハンドルネーム事件に見られるように、人格権を信望しているクリエーターは存在する。

その一方、人格権に重きをおかない創作者も少なくない。漫画の二次利用は、その最たる例だろう。当初は違法的な眼で見られていた二次利用だが、そこからビッグネームが飛び出すことも珍しくなくなった今では、(漫画・アニメ界では)一定限度の利用は許可、という慣例が確立しつつある。

これはHP、ブログ、画像投稿サイトに加え、youtubeなどの動画投稿サイトの普及を受け、権利者・企業側にも、単に規制かけるよりも、むしろある程度の二次利用は許可し、販売促進に役立ててもらおうという方向に意識変化が進んだせいであろう。

しかしその間には逮捕者も出るなど、著作権を巡るトラブルがなかったわけではない。きちんと非商用の二次利用は許可するように法改正すべきだろう。


つまり人格権、二次利用権、商用利用権などを何でもかんでも著作権にして強制的・自動的に守らせるのではなく、クリエーターの自己選択・申告制にし、それがない著作物は自由に利用できるような環境が好ましいように思えるのだ。

Paper Moon

ペーパー・ムーン スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]ペーパー・ムーン スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
(2004/02/20)
ライアン・オニールテイタム・オニール

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大恐慌時代、未亡人に聖書を売りつける詐欺男Mozesと、その娘かもしれない少女Addieとのコミカルで、ペーソス溢れる道行。

9歳の小娘でありながら、「父親」を上回る機転と度胸の持ち主で、少女は詐欺商売を切り盛りするうちに、父親と親しくなっていく。だが父のほうは淫売女にのめりこみ、身を持ち崩していく。見るに見かねて少女は一計を案じ、淫売女を追い出す算段をする・・・

監督はピーター・ボグダノヴィッチ。70年代初頭、彗星のように現れて、「ラストショー」「おかしな大追跡」で人気監督となり、「peper moon」は散策目で、これもヒット作となった。

カンザス、ミズーリといった中西部を旅する中年男性と少女。これだけでも充分にコ惑的な上、全編モノクロ撮影。これによって、郷愁的なimpressionが盛り上げられ、アメリカ人の琴線をくすぐった。公開当時は大恐慌から40年も経っておらず、50代以上のアメリカ人なら、リアルタイムな感覚でこの映画を追体験できたに違いない。

これにアメリカ映画らしいコミカル性、ショートドラマが付け加えられて、ヒットしないはずが無い。実際、この映画は年間興行成績トップの記録を残した。


タイトルにもなった"Paper Moon"だが、これは当時流行した紙製の三日月の撮影セット。この三日月の上に座って記念写真を撮るのだが、移動遊園地などの定番アトラクションであった。

移動遊園地というのは、地方を巡回する遊園地のことで、サーカスの一種と思えば良い。サーカスでは芸人が芸を見せてお金を取るが、移動遊園地ではその代わりにアトラクションでお金を取るわけだ。

そのアトラクションは、ローラーコースター、観覧車、メリーゴーランドなどがポピュラーであるが、終了後は荷造りして移動しなければならないので、いずれもこじんまりと小さいのが特徴。

(丁度、東京浅草にある「花やしき」のアトラクションとよく似ている。花やしきは、日本最古の遊園地と言われ、半世紀以上続いているアトラクションもあり、その意味で「Paper Moon」の時代に通じるものがあるのだろう。)

携帯式だから、あまり良い設備でなく、古びてガタが来ているのが多い。観覧車に乗ったりすると、あまりに振動がひどくて恐怖さえ感じることもあるのだが、却ってそこに郷愁を感じるアメリカ人も多い。


しかし、原作には"Papaer Moon"のシーンはない。実は「Paper Moon」のタイトルは、30年代当時の流行歌"It`s Only a Paper Moon"から、監督が取って付けたもの。原作は"Addie Pray"だから、断然、引き締まった題名になっている。この監督のセンスには脱帽だ。

Paper Moonという遊園地のアトラクションから、浮ついた楽しさ、見せ掛けの家族関係という、「にせ父娘の詐欺生活」を象徴的に浮かび上がらせている。

もっともそのシーンはほんの一瞬で、映画の中に挿入されているだけにしか、過ぎない。過ぎないが、その一瞬が、作品の全てを、いや全て以上を決しているという数少ない例の一つである。

似たような作品に、「ガラスのうさぎ」という小説がある。この本も、ガラスのウサギが出てくるシーンは数ページでしかないが、それによって戦争の悲惨さ、生命のはかなさを、きわめて印象的にあぶりだすことに、成功している。


原作からの変更点は、他にもある。原作では舞台は南部になっているが、監督はそれを中西部に変えた。

原作が南部なのは、作者が南部出身だからだろう。作者ジョー・デヴィッド・ブラウンは雑誌「TIME」の記者を長年勤めた後、71年にこの作品を書いて、5年後に没した。享年61歳。だから、この作品を書いていた時点では作者は50代で、ちょうど、主人公Mozesと重なる。

しかし、監督は南部の風景は、この映画には多情すぎる、と判断したらしい。彼は、この映画でもっと乾いた親子関係を表現したかった、とインタビューで述べている。

「AddieはMosesを愛していただろう。しかし、Mosesは分からない。どちらかと言えば、愛してなかったんじゃないかな」、とまで言ってのけている。

AddieもMosesを愛してなければ、二人の関係は単なるビジネスでしかない。大人に頼るしか生きる術のない孤児と、いたいけな少女を商売に利用する詐欺男との冷酷な関係。

もちろん、そんな関係を監督は描きたかったわけではないだろう。ドライでありながら、その裏にはウェットな心情、本当の親子でありたいとする心情が、Addieの態度から見え隠れする。それにほだされて、Mosesも次第にAddieに近寄っていく。

ただ、たぶん、二人は日本的な意味での「親子」にはなれないだろう。Mosesは心のどこかに空虚さを抱えており、その空虚はAddieでは埋め切ることはできない。ただ広大で寒々とした中西部の風景だけが、埋めることができる。監督が中西部を舞台に選びなおしたのは、その点を感じ取ったからに他ならない。

そして、そのような本質的に冷徹な男に、楽しく細やかな親子の愛情を求めようという、Addieの試みもまた、はかない虚偽の「Papaer Moon」であり、おそらくは、Addieの行く末を予言してもいるように思われてならない。


ちなみに本作品の後、主要人物が全て不運に見舞われたのも、決して単なる偶然ではないのかもしれない。

Mosesを演じたライアン・オニールは良作に恵まれず。Addie役でアカデミー賞を取り、一躍スターダムにのし上がったテータム・オニール(二人は実の親娘)も、子役を脱し切れず、成人後は鳴かず飛ばず。

しかし何と言っても、悲惨なのは監督ボグダノヴィッチだろう。この作品以後、才能が枯渇したのか、その後、作成した映画は失敗続き。すっかりハリウッドから忘れ去られた映画人となり、私生活でも、愛人が元夫に射殺されるという劇的な生涯を送った。

彼らは、思うにPaper Moonという虚構の世界に、余りに深く足を踏み入れてしまったのだろう。そして虚構の中で、虚構の幸福にリアリティを感じてしまった瞬間、彼らはそれ以来、無意識のうちに、その「虚飾の幸せ」を人生に求めてしまうのかもしれない。

元来、幸せとは、空想を現実に結びつけ、足を地面につかせることで成り立つ営みだが、彼らの場合、むしろ現実を空想に気化してしまうことで、幸福感を感じ取るような心的枠組みが出来上がったように思われる。

それを象徴的に表しているのが、監督の二番目の妻だろう。ボグダノヴィッチは死んだ愛人の美貌が忘れられず(彼女は雑誌プレイボーイのモデルだった)、彼女の妹を引き取って養育し、後に結婚したのだが、その際、妹に整形をほどこし、姉とそっくりな顔にしたという。

彼にとっては、現実は嘘で、それを演出して作り上げた「映画」の方にこそ、真実があったに違いない。


だが映画の真実は、紙の月のような虚飾であることが、その映画の中で語られる。何と言うことだろう。映画の中にこそ真実はあり、また同じく映画の中に、そのような真実は嘘だ、とささやかれる。そのような錯綜した矛盾の中で、関係者らは幸福の立位置を見失い、不幸に陥って行ったのである。

路地裏から海が見える

たそがれ時の街を歩いていると、路地の切れ目から海が見える。

そこには、わたしの魂の幾分かが置きっぱなしになっているから、それを取りに行こうとおもう。

路地のあちこちに見え隠れしながら、海はわたしとたわむれる。海は逃げ隠れしながら、わたしに何事かと、ささやきかける。その淡い糸の密約。

わたしは問いかける。水のきらめきの神秘を。
海は問い返す。夜のときめきの嘘を。

玉座

ふと気がつくと、わたしが先ほどから語りかけていた人は人ではなく、人形なのでした。人形は異様に薄く、二次元の動物のようにぴらぴらと上下に揺れ動いては、シルクハットを揺らめかして、にやにや笑いを続けているのです。

丁度起き上がり小法師のように、赤や黄色の紫のだんだら模様にひとしきり海のささやきをひらめかしては、波のように引いていくのです。

わたしはその前にしばらくたたずんで、人形の赤い鼻を弾いて遊んでおりました。すると大きな鐘が鳴って、辺りは昼間でありながら、昼間でないような光り加減になりました。

そのあやしい明るさの中で、わたしには今こそ滅びた国の玉座が、ふたたびこの世にせりだそうとしているのが、倦んだ傷のようにずくずくと感じられたのです。

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ジャンル : 小説・文学

山月記

暫くぶりで「山月記」を読み返したが、かつては読みすごしていた、幾つかの点が気になった。一つは「なぜ主人公・李徴は虎になったことを恥じているのか」ということだ。

もちろん、人間から畜生になるということは十分に恥ずべきことなのではあろうが、芸術至上主義者たる中島敦や、その化身たる李徴にとっては、あまり強い理由のようには見えぬ。

調べてみて分かったが、実は「山月記」は唐代伝奇小説「人虎伝」が元ネタ。代々漢学者だった中島には、馴染み深いストーリーだったらしい。「人虎伝」では、虎になった主人公は何度も人を食べた、とあり、これを恥じていたことが分かる。

中島はこの下りをカットしてしまったので、話がうまく繋がらなくなってしまったのである。

改竄(というか脚色)は他にもある。原作では、主人公はある夫人と密通した後、彼女が逢ってくれなくなったことや、主人に密通を邪魔されたこと恨み、その家に火をかけて一家を焼き殺すという暴挙の報いを受けて虎になる、という筋書きだが、中島はこれを芸術至上主義者の鬱憤に置き換えた。

中島は若くして文壇にデビューしたものの、何年間も国語教員の座に甘んじ、鬱々として楽しまなかったようで、その鬱屈を李徴に乗り移らせ、一芸にのめりこみすぎた者の哀れな末路を描くことで、己の内奥を吐露したのである。

もっとも心底では、中島は芸術の勝利を仄めかしてもいる。虎という孤高の生物を持ち出したのも、その表れだろう。詩というのは役に立たないものとしながら、詩を諦め切れない李徴の姿は、そのまま文学への価値を信じ続けた中島の姿に鬱って見える。

虎というのは恥ずべき姿でありながら、同時に中島の求める姿でもあったわけで、それが虎であることの恥ずかしい理由が見えない遠因ともなっているように思える。



その鬱憤から逃れるためか、中島は教員の職を辞し、パラオに赴く。当時(昭和初期)、日本はドイツから割譲された南太平洋の信託統治領を総督するために、パラオに南洋庁を置き、現地人に日本語教育を推し進めたが、その教科書編纂に、中島は渡南したのである。

しかし慣れない酷暑の地で中島は持病の喘息を悪化させ、着任早々にして帰国し、没する。33歳であった。

長い間

駅を降りるとこわいような強く、おだやかな生き物のにおいが押し寄せてくる。

わたしは戸惑い、歩いていく方向さえ分からなくなりかけたが、すぐにそれが潮のにおいと気づいた。そういえば、長い間、わたしは海に来なかった。

じつに、長いあいだ。

町の片隅で捩れたようにうねっている海は、海でないような素振りをしながら、そのくせ隙を見せれば、たちまち、わたしのからだを濡らそうとたくらんでいる。

濡らされたわたしのからだは、ねっとりした感覚をもてあましながら、砂浜を歩きつづける。

わたしの一部は海を恋いねがいながら、またべつの部分で海を激しくきらっている。

その駆け引きにしたがえば、わたしは波打ち際を歩くことになる。波はわたしをさらおうと待ちかまえ、わたしの中のいきものはその波を追いかけようと、飛び出しにかかる。

それを抑えるのにわたしは必死だ。必死でありながら、わたしはそれを待ち望んでもいる。海は魅力的だ。そして魅力あるものは、すべて恐ろしい。

だからこそ、わたしは長い間、海から遠ざかろうとしてきたのだ。

じつに、長いあいだ。

テーマ : 詩・想
ジャンル : 小説・文学

期待

改札から降りていくエスカレータを乗り継ぎ乗り継ぎ、わたしは地下鉄のホームを目指していたのです。乗り継ぐたびにエスカレータは薄暗くなっていき、終には真っ暗な闇に伸びていくのが見えました。

けれども人々はそれに頓着もせず、ただ黙ってその闇を降りていくのです。降りていくその先は、幾ら眼を凝らしても、丸きり見ることができません。人々は恐れも喜びもせず、ただ黙ってその暗がりへ入っていくばかりなのでした。

そしてそれを眼にしながらも、わたしはなおもそのエスカレータに向って激しい速度で降りていく、自分を止めることができなかったのでした。

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ジャンル : 小説・文学

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