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歡喜渡慈航



『渡慈航』というのは、慈悲の船に乗って、この迷いの世から彼岸の世界に渡ろう、という仏教用語で、この仏話から、のちに渡航をつかさどる慈航菩薩が生まれた。

慈航菩薩はとくに船乗りの多い南中国で信仰され、その名前を付けた福建の慈航上人は台湾に渡航し、死後は即身仏となったことから、台湾ではそれなりに知れた存在になっている。

この慈航をモチーフにした濁水溪公社の歌が「歡喜渡慈航」である。

濁水溪公社は台湾のアングラバンドで、「晩安台湾」などの社会派ソングで熱狂的ファンをもつ「知る人ぞ知る」ロックバンド。とかく欧米や日本の流行にながされやすい台湾バンド界のなか、台湾の土俗に根付いた歌づくりを20年以上にわたって続けている。

ボーカルの柯仁堅は台湾大学出身なせいか、パンクな中にも知性を感じさせる歌を得意とする。その歌作りの精神は土着、反抗、挫折など、台湾の暗い側面をモチーフにすることが多い。曲調はパンクやメタル、ロックやフォークをいり混ぜたものだが、その基調はやはり民俗音楽だとおもう。


バンド名の濁水溪とは、台湾中部を流れる台湾最長の河川。言わば台湾を代表する川で、日本で言えば信濃川や利根川のような存在だが、台湾ではそれほどの知名度はない。そのような無名でありながら、台湾を代表するような河川をバンド名にするところに、このグループの反骨的かつ土着的な精神をうかがい知ることができる。

(直接的には、80年代に台湾大学で結成された農民支援団体-カクマルのようなもの-「濁水溪社」のパロディ)

日本でいうと、「怒髪天」を彷彿とさせるが、怒髪天は社会に対して怒っている労働派のようでありながら、その本質は結構、世渡り上手で妥協的なオトナなのにたいし、濁水溪のほうは妥協を許さないような、強い隔絶の意志をもったコドモである。

これは台湾社会が内省人(国共内戦前から台湾にいた漢民族)と、外省人(内戦後に渡来した漢民族)とに分裂していることと、無縁ではない。濁水溪公社は、内省人の中心地・高雄市の出身である柯仁堅が、外省人の中心地たる台北市で痛感したアイデンティティ・ギャップを埋めようとして、結成されたバンドといえる。(台湾大学は台北市にある)

アイデンティティの危機に際し、彼は、音楽によって自らの草の根に戻る方向を選択したわけだ。そしてそれは台湾語によって(台湾の歌謡は北京語、英語、あるいは日本語を使うのが常識だった)、台湾社会の暗部を、台湾民謡によって歌い上げる類まれなスタイルとなって露出した。


歌詞そのものは、仏教の「渡慈航説法」を台湾語読みしただけである。「悪いことをするな、悪人は悪の報いを受けるぞ」、という因果応報、勧善懲悪のかび臭い説教節で、最後に「手をつないで慈悲の船に乗ろう」、で終わる。

が、後ろの動画はパロディや皮肉に満ちている。

最初のメンバー紹介は、中国の人物絵巻のパロディ。続く部分は占い本のギャグ。というか、基本的に占い本の1ページ1ページが動画のタネだが、それがパンク風に解釈されているのがおもしろい。

「結縄芸術」は紐細工のことだが、こいつらの手にかかるとSM縄縛りになる。
「民俗療法」は浣腸のことだが、これもやはりアナルセックスに変わってしまう。
「家庭円満」となると、ホモっぷるのことになってしまう。

まあそれだけなら単なるエロパロ動画なのだが、メロディが妙なリズム感があるので見ていてだれない。このメロディは実は仏教音楽である。

出だしは儀式開始の銅鑼であるし、ベース・メロディは葬列に使われるラッパ曲に似ている。そのような「誰でも知っている曲」を歌作りに持ち込むと、えてして凡庸な作品になりがちだが、そこをうまくロック風味をきかせることでアレンジを加えたのが、この歌の成功の秘訣といえるだろう。

正直、ほかの歌はあまりパっとしないが、この歌だけは聴きごたえがある。
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中国共産党のゆくえ2

前回はこちら


建国60周年を祝う中国では、軍事パレードを行って「力」をアピールすると同時に、「民主化」も大きな話題となった。

もっとも民主化といっても人権やら多党制のことではなく、あくまで「共産党の民主化」のことであるが、それでも民主化がテーマとされるには理由がある。それは共産党の腐敗が社会問題と化しているからだ。

同一政権が長年続くと腐敗や非効率がはびこる。これは日本が経験したことだが、中国でも同様で、60年も継続した共産党支配は、あちこちで矛盾を噴出させている。

ここ数年、チベットやウィグルでは大暴動が発生したが、その背景には原住民と漢民族との反目がある。共産党は小数民族対策として、これらの地域に漢民族を大量に移住させたが、彼らは地元の共産党と結託し、原住民を搾取していると言われる。

特に経済発展の波が奥地にまで押し寄せてくると、漢民族は共産党を利用し、原住民の土地などを「公共用地」として収奪。原住民が司法に訴えても、裁判官も丸め込まれているので埒があかず、不満が蓄積。最後には暴動となって爆発した、というのが経緯とされる。

「される」というのは、確かな話は分からないからだ。中国のメディアは「独立派の陰謀」「反乱分子の工作」などと報道しているが、これを信じる人は-中国人でも-あまりいない。中国人に聞いたところ、大衆はうすうす事実を察知しているという。ただウィグルやチベットでの取材は禁止されているので、「真実」は分からないのである。

ではどうして中国人は「真実」を知っているかといえば、それは彼らが身を持って共産党の無法ぶりを味わっているからに他ならない。


「今不是昔 政府無法 人民困窮 打倒共産党」

これは蘇州で見かけた張り紙だが、このような張り紙は中国全土で見られている。またデモや農民暴動でも、同じように共産党を批判・非難する紙が張り出されている。

一昔前なら「内乱罪」として逮捕の対象となったこのような行為が、今、中国では黙認されるようになっている。

理由としては、逮捕するとなれば刑務所が満杯になる、ということもあるが、それよりも「逮捕者が共産党の腐敗を公表してしまう」ことが怖いのらしい。裁判ともなれば、関係党員が何をしたかが明るみにされてしまうからだ。

以前なら裁判を秘密にもできたが、ネット時代ではそれもむずかしい。逮捕を強行してマスコミに嗅ぎ付けられるのもまずい。一番いいのは見て見ぬふりしてやり過ごす、つまり黙認となる。

業を煮やした政府はネット規制を強化。今年から出荷されるコンピュータ全てに、検閲ソフトの搭載を義務付けた。しかし開発段階から情報が流出し、対検閲ソフトが出回った上、内外の批判を浴びて頓挫。「天有政策、地有対策」(政府が法律を作れば、人民は抜け穴を探す)を地で行く形となった。

炭鉱問題では杜撰な炭鉱管理の実態をネットが暴露し、改善を促進させたなど、ネットは今や「第三勢力」としての地位を固めつつある。かつてのように反論は戦車で「封殺」するわけには行かなくなったのが、天安門時代との大きな違いだ。


そして巨大化した大衆の声をなだめるのが、「民主化」というわけなのだが、そもそもなぜ、民主化が唱えられるようになったのだろうか。

次回はこちら

テーマ : 中国
ジャンル : 海外情報

中国共産党のゆくえ

今年は新中国設立から60周年にあたる。

1921年に結党された中国共産党は、日中戦争、国共内戦を経て、49年に政権を獲得。囲碁、一貫して中国大陸の支配権を握り続けてきたが、これは共産党の功績と言っていいだろう。

というのはそれまでの中国は政情不安定で、日本を初めとする諸外国の干渉・侵略が日常的であったのを排除し、統一を保ち続けてきたからである。

そして共産中国成立後も、朝鮮戦争でアメリカと戦うなど、中国への脅威は決してなくなったわけではなかった。60年代には、長年協力関係にあったソビエト共産党から離反。戦火をまじえる事態にまで発展した。

当時の中国はアメリカとも国交がなく、孤立無援に等しく、加えてアメリカはベトナムを攻撃。北隣にある中国もいつ巻き込まれてもおかしくない状況が続いた。

その間、中国共産党は圧倒的な優位を誇るアメリカ・ソ連に対し、内部戦線を構築してじっと耐えるしかなかったのである。内部戦線といえば聞こえはいいが、要するに国土を蹂躙させてのゲリラ戦ということで、屈辱的かつ信頼性の低い防衛力しかなかったのである。


要するに中国共産党は戦火のなかで生まれ、戦火のなかで育った政治団体であり、外部から見るときは、その点を十分に考慮しないとならない。

現在は薄れたとはいえ、その基本方針はsurvivalである。敵の攻撃をいかに凌ぎ、生き残るか。中国では、各都市に防空壕が準備されており、主要空港には防毒マスクが用意されている。これは日本軍の重慶爆撃で多数の死傷者を出した経験がもとになっていると言われる。

中国共産党が現在軍拡に血眼なのは、ひとつには過去の恐怖感から来る自己防衛本能である。何しろ国民党に追われて数千キロを食うや食わずで逃避(長征)、日本軍とのゲリラ戦、アメリカ軍との正面衝突、ソ連との対立。

その都度彼らは自軍の弱さに嘆き、苦しみ、プライドを奪われた。そして経済が豊かになった今、少しでもよい武装を欲しがるのは理解できないことではない。丁度、若いころに貧乏だった人が成功しても、貪欲に金儲けを続けるのに似ている。

したがって、中国の軍拡に対して日本が軍拡で応じるのは得策ではないだろう。中国はさらに警戒心を募らせ、より軍拡のペースを早めるだろうからだ。そして日本もまたそれに応じれば、アジアNo1,No2の大国が合い争うという不毛な事態に陥る。


とはいえ、ハト路線がすんなり通じるわけではない、というのが共産党のむずかしいところである。共産党の常として、中国共産党もまた、領土・権益には極めて頑なな態度を取ることが多い。

ウィグル、チベット台湾、どこでもよいが、中国共産党はその主権を譲ったということがほとんどない。おそらく東シナ海のガス田や領土問題も、一度日本が譲れば、再び獲得することはかなわないだろう。

もっともそれは中国が世界覇権をめざしているという訳ではないだろう。歴史的にみると、中国が目指していたものは常に東アジアの盟主であり、世界征服や通商支配ではなかった。また軍事的に見ても、中国軍の配備は陸軍主体であり、世界支配に必要な海軍は副次的存在でしかない。

(確かに海軍は増強を続け、本格的空母の所有も近いとされているが、アメリカに対抗しうるほどの力を身に付けるのは少なくとも10年はかかるだろう)

日本は90年代以降の右傾化が中国の強硬化を刺激したことを反省し、中国は自らの武装強化が逆に緊張を招くことを悟らなくてはならない。


双方とも地域の盟主をめざしている、という点では、日中関係は仏独関係に似ている。フランスもドイツもともにヨーロッパの覇者の地位を長年合い争っていたからだ。やがて両者は争いの愚を悟り、「EU」という地域統合を果たしたが、東アジアがそこに到るまでには、なお紆余曲折が存在するだろう。

しかし、「AU」(アジア連合)は夢物語でなく、意外に早く成立するかもしれない。それは中国共産党に大きな変化が訪れているからだ。


次回はこちら

中国とインフルエンザ

中国でもインフルエンザが大流行しているらしい。

「らしい」というのは、政府もマスコミもそのことに触れたがらないからだ。なぜかと現地の人に聞いてみると、「中国政府は、メンツを重んじるから、負けを認めたくない」、んだそうな。

中国はインフルエンザを食い止めるために、来中者をホテルにカンヅメにするなどの恐慌な手段をとったが、それでも阻止することができず、「負け」てしまった。しかしそれを公表すると、共産党への信頼感が下がるので、隠蔽しているのだという。

だから漏れ聞こえてくる報道も、
「新幹線の乗客は、インフルエンザを予防しよう」
「上海万博の労働者には、予防接種が無料で与えられる」
「西安大学で千人発症したが、患者らは順調に回復している」
などなど、口当たりのよいものばかり。

だが裏返してみれば、それは
「新幹線内では、インフルエンザが蔓延している」
「万博労働者では、インフルエンザが大量に蔓延している」
「西安や大学では、以下同文」
ということに他ならない。

中国当局によると、09年9月時点の累積患者数は1万人である。しかし上記の報道によると、西安は学生だけで千人の発症。西安は人口800万ほどの都市だから、そこで千人の発症とすると、全中国13億では数十万の発症となり、とても公式発表とは合わない。なんらかの情報操作が疑われるゆえんだ。


実際、ここまで国際化が進むと、空港などの水際検疫でインフルエンザを防ぐことは、不可能にちかい。ましてや中国は北京や上海など、主要都市で国際空港の拡張、利用者増を進めているから、なおさらである。

そして一旦国内に入った以上、感染拡大は不可避。

ひとつには、中国の劣悪な衛生事情がある。道端にタンを吐き、手洗いもマスクもしない文化圏では、ウィルスは簡単に撒き散らされる。

もうひとつは、ゲロ混みの公共空間。地下鉄や列車、駅やデパートなど、他人と濃密な接触がてんこもりな空間が多い。

IMG_1100.jpg
(上海・南京東路)

また中国人の対人距離も、日本人より近い。日本だと前の人とだいたい40~50cmほど離れて並ぶが、中国だと10~20cmほどである(実測値)。ちょっとした弾みに肌がふれあうことも少なくないが、中国人は気にすることもない。

そしてゴミだらけの路上。まあ日本のようにゴミがないのも管理社会的で窒息感を覚えるが、あちこちに食べ残しが産卵しているのも、嘔吐感を覚える。

さすがに表通りは清掃されているが、裏道では清掃が行き届いていない。実際外灘の裏道を歩いて見ると、ほぼ5mおきにゴミが落ちており、中国の近代化は化粧的、表面的なものという印象をつよくする。


今回の新型インフルエンザでは、日本政府は発症率が全人口の20~30%と見積もっている。その比率でいけば、中国では3~4億人の患者が出ることになる。中国の衛生状況の悪さを考えると、それに倍する数になる可能性もある。

さらに神国なのは、死者である。今回のpandemicでは、メキシコやアメリカで死亡例が多かった。これは両国では公営保険が不備なため、貧困層は病院に行くことをためらい、危篤状況に陥ってからはじめて病院を訪れるからだ、と指摘されている。

そして中国もまた(社会主義の割には)、公的保健が不完全な国のひとつで、大量の死者が出ることが予想される。

さらに農村からの出稼ぎ、新中国成立60周年式典、旧正月など、インフルエンザが大流行する民族大移動を控え、政府はワクチンの無料摂取などに乗り出した。またこれを奇貨として、医療体制の不備を改善しようという声も出始めている。

しかし抜本的是正には、戸籍制度の改良が欠かせない。中国では農村と都市の戸籍が別になっており、双方自由に移動することができない。無理に移動すると、その人は無戸籍者としてあつかわれ、教育や医療などの住民サービスが受けられない。

これは中国が農村社会だった時代に出来上がった制度で、農村からの出稼ぎが恒常化した現在では実情に合わず、大きな社会問題になっているせいであるが、戸籍の一本化を望む声は高い。

だが一本化すると、膨大な農村人口が一気に都市に流入して大混乱になるなど、弊害も大きいため、政府としては小手先の改革に終始させたい意向だ。

このあたりの姑息な槍方は自民党政権末期の手法によく似ていて、中国共産党の行く末を暗示しているようにおもわれる。

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豫園1

上海の観光地といえば、まず豫園。上海に行かれた方は、まずここを訪れているほどの観光スポットだ。豫園とは明代の庭園で、旧上海城内にある。ここは古い中国の雰囲気が色濃く残っている、東京で言えば浅草のようなところ。

上海はすでに戦国のむかしから集落があったが、本格的な発展は黄浦江(=長江)が遠浅になり、港湾が下流の上海に移された時からになる。唐宋代には市街が形成され、明代に発展したが、その富をもとめて倭寇が侵入。これを防ぐために円形に城壁を築いたのが、上海城の始まりである。

城内には役人、商人が邸宅をかまえたが、その一人、潘允瑞が築いた個人庭園が豫園だ。中国には宋代から文人趣味がはやり、その世界観をあらわした個人庭園を造るのが、金持ちや役人の夢であった。

潘允瑞は四川布政使(四川省知事)や漕運(食糧輸送)を務めた役人で、その父・潘恩も刑部尚書(司法大臣)などを歴任したお役人一族。彼は老父を「愉しませる」ために、豫園を造ったと「豫園記」にしるされている。(「豫」とは「予」の異型字で、「喜」「愉」の意)


築園には18年もかかり、その途中で父は死んでしまい、潘允瑞の死後は潘氏そのものも零落するというイワクつきの庭園だが、清代以後は城皇廟(城の守り神を祀る社)が管理するところとなり、築山などが設けられた。

清末には反清結社・大刀会の司令所がおかれたり、20世紀には日本軍に占拠されたり、と波乱に満ちた経過をたどった挙句、新中国成立後にようやく再建され、隣の城皇廟とともに「老上海」をの核としての役割をになうようになった。

豫園は旧中国、しかもお役人が贅を極めた庭園なのに、文革では破壊を免れたのは不思議でもあるが、宗教的施設でないこと(同じ潘允瑞が築いた沈香園(慈雲禅院)は破壊された)、貴重な外貨を稼ぐための手段だったことなどから、危機を脱したとおもわれる。


さて、地下鉄路線図をみると「豫園駅」があるのだが、実際には降りることはできない。というのはまだ建設中で、路線図には開通予定の駅まで書き込まれているからだ。ややこしくて仕方ないが、毎月新駅が誕生するという上海の建設ラッシュでは、こういう手抜きもしかたないようだ。

shanhai-subway.jpg

仕方なくタクシーでゆく。タクシーは初乗り11元(200円ほど)で、観光地は狭いところに密集しているので、一日中乗ってもさほどな金額にはならない。ただ英語は通じず、中国語もかなり訛っている人がいるので、要注意。

taxi.jpg

タクシーはボラれるから危ない、強盗されるという話もあるが、メーターからは領収書が出るので、ボラれることはない。強盗云々も、運転席にプラスチック製の防護カバーがつけられているところからすると、むしろ危険を感じているのは運転手の方だろう。

タクシーは豫園まで連れてってくれるわけでない。豫園周辺は小道が多く、車が入れないのだ。そこでタクシーから降りてしばらく歩くことになるが、道が曲がりくねっているので、なかなか目的地までたどりつけない。

画像 214

これは他の地域が列強の管理下におかれ、区画整理がなされたのに対し、旧城は中国に残されたので、いまなお区画整理が行き届いていないせいという。そのため上海には堂々とした大きな建物が多いのに、この一画だけはごみごみとした町並みになっている。

画像 215 (商店街)

shanghai 214 (路地裏はこんな感じ)

感覚としては、浅草によく似ていて、みやげ物屋が多い。2元ショップ(中国版百円ショップ)、骨董品屋、刀剣屋、瀬戸物屋などがたちならぶ。少し進むと豫園市場に出るが、こは明清代の伝統商家を模した商店街で、所狭しと食べ物や骨董品などを売っている。

画像 217

夜ともなると、灯りがともされ、ちょっとしたお祭りムードになる。というより、日本の赤提灯や祭りのイメージは明清代の上海や蘇州の繁華街を下敷きにしていると思われるので、不思議な郷愁をかんじる。

yoen.jpg



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