静かなるドン
![]() | 静かなるドン (91) (マンサンコミックス) (2009/05/29) 新田 たつお 商品詳細を見る |
連載20年、炭鉱本91巻、発行部数は4千万部という「お化け漫画」だが、面白いのは前半の鬼州組抗争編だけで、後半のジョンロン編、アレキサンダー編になると、坂を転げ落ちるようにつまらなくなるので星4つの評価とした。(前半だけなら星6つなのだが・・・)
特に現在連載中の龍馬編はもはや物語世界そのものが崩れ、惰性で続けている「こち亀末期状態」が続いている。
そもそもこの作品の原型は「水戸黄門」あるいは「スーパーマン」にある。日ごろは冴えないサラリーマンが、実は日本有数の大暴力団・新鮮組総長。
サラリーマン時にコテンパンにやられても、組長になるとオールマイティな強さを見せる、というのが面白さの源泉になっているのだが、後半になると、その面白さを侵食するように物語が進んでしまう。
主人公はサラリーマンとして出世し、恋人とも結ばれ、秘密にしているはずの裏と表の顔も、次第に周囲にばれてしまう。
2009.07.03 (Fri) 14:53
東国原シアター 〜トップをねらえ〜
いきなりの首相宣言を出した、東国原知事。
当初は「お笑い」「ジョーク」と思われていたが、それが計算し尽くされた発言だったことが知れるにつれ、次第に波紋が高まっている。
自民党では、「人気が出て思い違いしている」「(輸血は必要だが)毒物を入れる必要はない」という批判まで飛び出したが、表立って人気の高い知事に反論することもできず、鬱憤は話を持ちかけた古賀幹事長の方に矛先が向けられている有様。
しかし地方のほうでは、新潟知事が賛辞を送ったり、大阪知事が連携を呼びかけたりと、賛同の意思を示す人もいる。
選挙前にわざと爆弾発言を行い、中央VS地方などという「対立軸」をこしらえあげ、選挙を有利に戦うという手法は「小泉劇場」と批判されたが、当の東国原知事はその言葉を嫌い、自分のは「東国原シアターと呼べ」と、マスコミに注文をつけた。
当初は「お笑い」「ジョーク」と思われていたが、それが計算し尽くされた発言だったことが知れるにつれ、次第に波紋が高まっている。
自民党では、「人気が出て思い違いしている」「(輸血は必要だが)毒物を入れる必要はない」という批判まで飛び出したが、表立って人気の高い知事に反論することもできず、鬱憤は話を持ちかけた古賀幹事長の方に矛先が向けられている有様。
しかし地方のほうでは、新潟知事が賛辞を送ったり、大阪知事が連携を呼びかけたりと、賛同の意思を示す人もいる。
選挙前にわざと爆弾発言を行い、中央VS地方などという「対立軸」をこしらえあげ、選挙を有利に戦うという手法は「小泉劇場」と批判されたが、当の東国原知事はその言葉を嫌い、自分のは「東国原シアターと呼べ」と、マスコミに注文をつけた。
2009.06.26 (Fri) 15:01
花のフィレンツェ〜マザッチョ
前回はこちら
ジョットは1337年に死ぬが、その死後、14世紀後半のヨーロッパでは、黒死病が猛威を揮(ふる)う。
黒死病(ペスト)は、中央アジア原産と考えられていたが、近年、さらに研究がすすみ。四川から雲南にかけての地域の風土病という説が有力になっている。
この辺りは温暖で、氷河期には寒さを避けて動植物が集まったため、古生物が温存されており、茶や稲の原産地として知られている。
そしてペストも、どうやらそこが起源だったらしい。
このような風土病は、通常は地元での小流行を繰り返すのみに留まっているが、何かの拍子に外界に出ると、爆発的な感染に発展しやすい。エイズやSARS、エボラなどが有名な例であるが、中世のペスト大流行は、モンゴルの雲南侵略が遠因だったようだ。
それまで雲南には大理国が栄えていたが、中国を統一したフビライに降伏。雲南はモンゴル帝国に組み込まれる。
モンゴル帝国は挑戦半島からヨーロッパに至る長大な交易路を管理しており、それを伝ってペストが雲南から中国、中央アジア、そしてヨーロッパに上陸することになる。
ジョットは1337年に死ぬが、その死後、14世紀後半のヨーロッパでは、黒死病が猛威を揮(ふる)う。
黒死病(ペスト)は、中央アジア原産と考えられていたが、近年、さらに研究がすすみ。四川から雲南にかけての地域の風土病という説が有力になっている。
この辺りは温暖で、氷河期には寒さを避けて動植物が集まったため、古生物が温存されており、茶や稲の原産地として知られている。
そしてペストも、どうやらそこが起源だったらしい。
このような風土病は、通常は地元での小流行を繰り返すのみに留まっているが、何かの拍子に外界に出ると、爆発的な感染に発展しやすい。エイズやSARS、エボラなどが有名な例であるが、中世のペスト大流行は、モンゴルの雲南侵略が遠因だったようだ。
それまで雲南には大理国が栄えていたが、中国を統一したフビライに降伏。雲南はモンゴル帝国に組み込まれる。
モンゴル帝国は挑戦半島からヨーロッパに至る長大な交易路を管理しており、それを伝ってペストが雲南から中国、中央アジア、そしてヨーロッパに上陸することになる。
2009.06.21 (Sun) 00:00
ネットブックをかう
![]() | ASUS Eee PC 1000HA 10 () 不明 商品詳細を見る |
当初、イロモノとおもわれていた「ネットブック」だが、発売から一年あまりを経て、すっかり定着した。電気店や量販店では、ネットブックのセクションが設けられ、常に人がたかっている。横のノートブック・セクションが閑散としているのと、好対照である。
機能を絞りこみ、その分やすくする。世界的な景気悪化をうけて、従来のハイエンドモデルの売れ行きが鈍るなか、この「500ドルモデル」は大きく売り上げを伸ばしている。
価格は公称5万円、実勢価格は4万、ときに3万円にまで達する。その代わり、大多数のネットブックにはDVDドライブはなく、DVDは読み込むことができない。どうしても読み込みたければ、外部ディスクドライブを買うか、それが付いているパソコンに接続するしかない。
画面も小さく、通常のノートの半分程度。新書を開いた程度の大きさしかなく、長時間覗き込んでいると、疲労も溜まってくる。
CPUはIntelの低電力消費・小型モデルの「atom」を載せており、クロック数は1.6GHz前後。通常の業務には支障がないが、3D処理、動画編集は苦しい。メモリも1GB前後では、Vistaを走らせるには心もとない。そのため、XPを載せている機種が多い。XPならライセンス料も安いので、そのぶん価格も下がるという仕組みだ。
総じていえば、ちょっとメールをチェックしたい、文書を作成したい、外出先で使いたい、というusageにふさわしいセカンド・マシン。それがネットマシンである。
2009.06.20 (Sat) 12:16
足利事件
足利事件。おそらく冤罪として、日本の犯罪史・裁判史に残るであろう事件だが、日本人の科学信仰と、司法信仰に風穴を開けた点が、印象に残った。
科学を生まなかった土壌をもつ日本では、科学に対する絶対的な信仰がある。南氷洋でクジラの数が増えていると調査隊が報告すれば、それをウノミして捕鯨を再開しようとしたり、温暖化が二酸化炭素のせいだ、と言われれば、その通りとせっせとCo2削減に血道をあげる。
しかし鯨数も温暖化もその調査は科学的であり、科学である以上限界がある。科学調査はサンプルで済ませるが、サンプル=全体という保証はないし、調査結果が未来永劫にわたって続く、ということも言えない。
あくまで鯨は増えている可能性が高い、温暖化はCO2が原因と考えられる、という程度にしか過ぎず、そこには常に一定の「留保」が残される。
だから科学という劇薬を生んだ欧米では、その留保を考慮に入れて、「確かに調査ではクジラは増えているが、間違っている可能性もある。捕鯨再開を許した後で、調査が間違っていると分かったら、クジラは絶滅してしまう。だからもう暫く様子を見ましょう」、とする意見が支配的だ。
(日本では、「欧米人はヒステリックに捕鯨文化を目の仇にしている」、「グリーンピースが悪い」、という極論ばかりが跋扈し、この辺りのロジックはきちんと理解されていないし、理解しようともしていない点に、危うさをかんじてしまう)
ひるがえって、DNA鑑定においても、科学的である以上、限界がある。特に足利事件当時、DNA鑑定の精度は低く、誤っていた可能性が高い。しかし裁判官はおろか、弁護人までそれを絶対視するに当たって、菅家氏の有罪は避けようもなかった訳である。
二審では新たに結成された弁護団がDNA鑑定のやり直しを求め、日本大学に依頼し、「犯人のDNAと菅家氏のDNAは異なる」、という鑑定結果を提出していた。97年のことであるが、それが認められるには、実に10年以上の月日が必要だったのである。
鑑定は絶対的とし、再審請求を門前払いしてきた裁判所の罪は重いと言わざるを得ない。
菅家氏を自白に追い込んだ栃木県警は過ちを認め、謝罪に応じたが、司法当局は応じるどころか、同じようにDNA冤罪の可能性がある事件の死刑執行を敢行。日本の裁判所は検察、警察と馴れ合っている、という批判を実証することとなった。
また痴漢裁判でも、「疑わしきは罰せず」の原則が守られず、実質上、起訴されたらおしまい、という「魔女裁判」がまかり通っていた状況が広く知られるにつれ、日本人のもつ司法信仰も揺らいできた思いだ。
補1)自分が死刑に反対するのも、日本ではこうした司法の硬直性があるからであり、無実の人が処刑されるという危険性が、じつは一般に考えられているよりも多数存在すると、思われるからだ。
補2)足利事件では、菅家氏を「小児性愛者」「性的倒錯状態」、などと鑑定した心理学者の責任が問われ、起訴されている。これは、「アダルトビデオ」を大量持っていた、「幼稚園」バスの「中年」運転手というキーワードから、当の学者が妄想したものと思われる。
ただ心理学というのはそういう限界があるし、彼の鑑定能力を責めるより、彼が警察や裁判所の「空気を読んで」異常者鑑定を下してしまった、その「過剰な察知能力」こそが、責められるべきものだろう。
一般に日本人は、空気を読むことに焚けているが、真実を読むことは、余り上手ではないが、これが足利冤罪の遠因となっている気がする。
科学を生まなかった土壌をもつ日本では、科学に対する絶対的な信仰がある。南氷洋でクジラの数が増えていると調査隊が報告すれば、それをウノミして捕鯨を再開しようとしたり、温暖化が二酸化炭素のせいだ、と言われれば、その通りとせっせとCo2削減に血道をあげる。
しかし鯨数も温暖化もその調査は科学的であり、科学である以上限界がある。科学調査はサンプルで済ませるが、サンプル=全体という保証はないし、調査結果が未来永劫にわたって続く、ということも言えない。
あくまで鯨は増えている可能性が高い、温暖化はCO2が原因と考えられる、という程度にしか過ぎず、そこには常に一定の「留保」が残される。
だから科学という劇薬を生んだ欧米では、その留保を考慮に入れて、「確かに調査ではクジラは増えているが、間違っている可能性もある。捕鯨再開を許した後で、調査が間違っていると分かったら、クジラは絶滅してしまう。だからもう暫く様子を見ましょう」、とする意見が支配的だ。
(日本では、「欧米人はヒステリックに捕鯨文化を目の仇にしている」、「グリーンピースが悪い」、という極論ばかりが跋扈し、この辺りのロジックはきちんと理解されていないし、理解しようともしていない点に、危うさをかんじてしまう)
ひるがえって、DNA鑑定においても、科学的である以上、限界がある。特に足利事件当時、DNA鑑定の精度は低く、誤っていた可能性が高い。しかし裁判官はおろか、弁護人までそれを絶対視するに当たって、菅家氏の有罪は避けようもなかった訳である。
二審では新たに結成された弁護団がDNA鑑定のやり直しを求め、日本大学に依頼し、「犯人のDNAと菅家氏のDNAは異なる」、という鑑定結果を提出していた。97年のことであるが、それが認められるには、実に10年以上の月日が必要だったのである。
鑑定は絶対的とし、再審請求を門前払いしてきた裁判所の罪は重いと言わざるを得ない。
菅家氏を自白に追い込んだ栃木県警は過ちを認め、謝罪に応じたが、司法当局は応じるどころか、同じようにDNA冤罪の可能性がある事件の死刑執行を敢行。日本の裁判所は検察、警察と馴れ合っている、という批判を実証することとなった。
また痴漢裁判でも、「疑わしきは罰せず」の原則が守られず、実質上、起訴されたらおしまい、という「魔女裁判」がまかり通っていた状況が広く知られるにつれ、日本人のもつ司法信仰も揺らいできた思いだ。
補1)自分が死刑に反対するのも、日本ではこうした司法の硬直性があるからであり、無実の人が処刑されるという危険性が、じつは一般に考えられているよりも多数存在すると、思われるからだ。
補2)足利事件では、菅家氏を「小児性愛者」「性的倒錯状態」、などと鑑定した心理学者の責任が問われ、起訴されている。これは、「アダルトビデオ」を大量持っていた、「幼稚園」バスの「中年」運転手というキーワードから、当の学者が妄想したものと思われる。
ただ心理学というのはそういう限界があるし、彼の鑑定能力を責めるより、彼が警察や裁判所の「空気を読んで」異常者鑑定を下してしまった、その「過剰な察知能力」こそが、責められるべきものだろう。
一般に日本人は、空気を読むことに焚けているが、真実を読むことは、余り上手ではないが、これが足利冤罪の遠因となっている気がする。
2009.06.19 (Fri) 12:29










